要約

このコラムの結論は単純である。最後は、捧げられた熱量が成否を分ける。かなり精神論的な言い方だが、年齢と経験を重ねるほど、研究や仕事で物事を成し遂げるために重要なのは、結局この熱量なのだと思っている。

その理由はいくつかある。まず、人の成長は直線的ではなく、努力を重ねた末にある日突然「わかる」「できる」に変わることが多い。だからこそ、熱量を注いで試行回数を増やすことに意味がある。次に、提案書や論文のような勝負事では、皆ある程度までは仕上げてくる。その中で最後の細かな改善や、細部への誠実さが相対的な差を生む。

また、幸運に見える人は、単に多くのトライアルをしているだけでもある。発表する、提案する、人に会う、関係を築く。そうした行動の回数が増えるほど、偶然の出会いや機会も増える。そして、その一つひとつに熱意がこもっていれば、人はそれを感じ取り、応援してくれる。

さらに、組織や研究室を動かす時にも、劇的な一手で何かが変わることは少ない。小さな改善を積み重ね、仕組みを整え、試行錯誤を重ねていく中で、ある日突然、雪だるまが「ゴロッ」と転がり始める瞬間が来る。大きな変化は、そうした小さな努力の蓄積の上に生まれる。

結局のところ、一つひとつの努力や熱量は、それ自体では小さい。しかし、それらが積み重なり、相互に作用・共鳴し合うことで、大きなうねりになる。成功している人が特別なのではなく、雪だるまを押し続けることをやめなかっただけなのだと思う。雪だるまを押し続けることを可能にするのは、熱量しかないのである。


最後は捧げられた熱量が成否を分ける (精神論)

バリッバリの精神論である。齢40歳を迎えようとするときになって思うのは、研究者として、そしておそらく社会人として、物事を成し遂げていく、成功していくための唯一の秘訣は、捧げられた熱量と情熱でほとんど決まってしまうと思っている。

若い時は、優秀さであったり、そういった人間の能力によるものが多いかもしれないと思っていた。しかし、年と経験を重ねるごとに、この精神論に落ち着いてしまった。しかし、こういった話を、成功を成し遂げた研究者に聞いてみると、「結局そうなんだよ!」と同意を得ることが多いのも事実である。

今回は、この精神論をもう少し読み解いてみたいと思う。いくつか説があるように思う。

① 成長のきっかけは、努力を重ねたある日突然やってくるから説

メジャーリーガー菊池雄星投手が、こんなことを言っていた。「少しずつうまくなるのではなく、コツをつかむと一気にうまくなる。練習をするのはうまくなるきっかけを掴むためで、そのチャンスは、100回するより1000回練習したほうが多くなる。努力は、ひらめくためにするんです。」

勉強していて、ある日突然理解する。スポーツの練習をしていて、ある日突然コツを掴む。これはおそらく多くの人間が経験したことのある感覚だと思う。小槻自身も、例えば研究員になって3年目の時に、科学とは何か、論文を書くというのはどういうことか、実験を効率的にするにはどういうことかといったことが、ある日突然つながった感覚があった。その前には膨大に雑な実験をしていたわけだが、こういった努力を重ねたからこそ、コツを掴めたのだと思う。

熱量を捧げる理由の一つは、こういったコツを掴むチャンスを増やすことにあると思う。時間をかけると、徐々に成長していくと思いがちだが、実際はこのコツを掴むことによって成長曲線は跳ね上がるし、逆にコツをつかめないと、時間をかけても成長は限られてしまう。そのことに気が付いた時、すぐに成果が出なくても、自分がやるべきだと信じることに対し、まずは時間をかけることの重要性がわかると思う。

余談ではあるが、研究者としてステップアップしていく人の中には、過去に部活動やスポーツで頑張っていた人がかなり多いと思う。一般には、学部生の間にそういった部活やスポーツを頑張るというのは、勉強時間の観点ではデメリットかもしれないと思う。しかし、そういった人が多いのである。なぜそういったことが起こるかというと、経験的に努力の本質的な意味をわかっているから、その経験が研究にも生きるのだと思う。特にスポーツや運動では、努力がすぐに成果として反映されることはない。それを、なんとなくでも理解しているということが大事なのだと思う。

② みんな頑張るのは当たり前で、少しの絶対的差が大きな相対的差になるから説

これは提案書などを書いていて、よく思う。例えば、自分なりに完成度が90点まで来ている提案書があったりするとする。提案書を書くというのは、最後は孤独な作業で、その後、90点までの精度が出ている提案書を91点、92点とジリジリと改善していくのは非常に辛い作業である。というのは、割れた時間に対して成長するクオリティの差が小さく、かつ、それによって採択の可能性が上がるかどうかもわからないからである。もしかしたら、すでに採択されているレベルかもしれないし、努力を重ねても採択されないかもしれない。ここで、熱量を捧げられるかどうかに差が出てくるようにも思う。

その理由は、そういった作品の評価は絶対評価ではなく、相対評価で為されるためである。実際のところ、提案書であれば、みんな採択されたいと思っているので、90点といったレベルまではみんな持っていく。もちろん、研究構想のアイデアの面白さ自体も必要なわけだが、そもそも努力を捧げるということは当たり前なのである。例えば、90点を95点まで引き上げた時に、自分の中では小さな5点かもしれない。しかし、そういった小さな差というものが、提案書のクオリティを相対的に上げるのである。

実際、小槻自身も、提案書の審査をする機会が増えてきたが、提案書には捧げられた熱量というのが確かに滲んでいるように感じる。おそらくその熱量というものは、生成AIなどでは生成できないのだと思う。書き手のエネルギーや思いが詰まった文章であれば、そういった気持ちを汲みたいと思うのが人の心情である。

ここでは提案書の話をしたが、研究発表など、研究活動においては様々なところで、この最後の努力が差を分けるといったことは出てくる。

③ 運はだれしも平等に流れている。幸運に見える人は単純にトライアルが多いだけ説

おそらく研究であれ、ビジネスであれ、幸運をつかむということは成功の大きな要件の一つだと思う。しかし、例えばドン・キホーテの創業者やサッカーの岡田武史監督など、ビジネスやスポーツに限らず多くの人が言っているのは、「運は誰しも平等に流れている。そして、幸運に見える人は単純にトライアルが多く、より多くの幸運に出会っている」ということである。これは、幸運を成功率ではなく、成功数と考えると理解しやすいと思う。例えば、あるトライアルの成功率が10%だとして、10回トライすれば1回成功するし、100回トライすれば10回成功する。成功率を10%-->20%に上げるのは大変だが、トライアルを2倍に増やすのは、熱量さえあれば事足りる。研究であってもビジネスであっても、ポイントは成功率ではなく、成功数なのである。

小槻自身は、自分でも非常に運が良いと思う。例えば、ムーンショット気象制御研究で中核的な役割を果たしてくださっている安永先生は、たまたま2023年2月にあった千葉大学環境リモートセンシング研究センターのシンポジウムで、小槻が気象制御の話をしていたことから、研究提案の話が始まった。その直後にコア研究の公募があり、今に繋がっている。今では安永先生の活躍は、シーディング実験をはじめ、ムーンショット研究の発展に欠かせない存在となっている。

ここで小槻が安永先生に出会えたことは非常にラッキーなわけだが、そもそもこのシンポジウムで発表しているのである。そして、この年だけ参加していた安永さんと出会うことができた。CEReSのシンポジウムで、10名ほどいる教員の中で、ほぼ毎年発表しているのは小槻だけだと思う。教員になると、発表準備の1時間の時間を絞り出すのはしんどいし、楽もしたくなる。もちろん、発表しなくても誰にも咎められない。しかし、発表していたからこそ、こういったチャンスに出会えるのである。

他にも、小槻自身にはこんなことがあった。

・JpGUで気象制御の話を頑張ってプレゼンし、また質疑を頑張って盛り上げていたところを見ていたJSTの方が、この人を応援しようと思って、いろいろと研究をサポートしてくれる。

・たまたま、2025年11月のセンターの記念式典で話したプレゼンをきっかけに、ウェザーニューズさんとの共同研究が始まりそうになっている。たまたま、2025年10月からウェザーニューズの元社員さんが社会人博士として入学してくれたことで、会社のフィロソフィー・考え方を教えてもらい、より刺さるプレゼンを準備できるようになる。

・たまたま、墨田区で話した市民講座をきっかけに、スカイツリーのライブカメラを使った風景研究が起こりそうになっている。

・たまたま、学生時代の友人の妹が千葉大でURAをしていて、応援してくれる。他の大学に移った後も、研究提案書を添削してくれたり、発表練習に付き合ってくれる。たまたま、理研時代に一緒に苦労した方が、某国立大学でURAをしている。企業共同研究、クロアポ、寄付金、企業など、直接千葉大学に相談しにくい時に、まずは相談に乗って頂ける。

・たまたま、理研時代の野球部の友人が計算機マスターで、千葉大着任時のサーバー調達をサポートしてくれる。

こういった、たまたま起こる幸運というものを掴んでいくことが大事だが、そもそもまずトライアルをしなければ、こういったチャンスには出会えないのである。そして大事なのは、こういった発表や研究に対して、情熱を捧げているということである。だからこそ、人が助けてくれるのだと思う。

また、ここでポイントになるのは、一つ一つの行動を行うときには、その後の結果を想定していないということである。自分自身は発表であったり、野球であったりという、ただ目の前のことを真剣に楽しんでいただけである。しかし、それらが違う角度で物事を動かす。それが、トライアルを増やすことによって幸運のチャンスを広げる秘訣なのだと思う。

何も起きなかったトライアルもたくさんある。 例えば、せっかく休日に行くんだからと15分かけて準備した鋸山のライブカメラ設置の提案は、今のところ目が出ていない。 しかし、次に同じような機会があれば、また自分は資料を準備し、提案をするんだと思う。 それが努力だとも思っていない。

④ 勝負の神様は細部に宿る説

これに関しては岡田武史監督のこの動画が秀逸である。8分18秒ごろから。勝負を分けるのは、ほんの小さなことが80%, 下手したら90%。

これに関しては、論文を仕上げていく時などによく思う。図を最後まで誠実に作り込む。論文を最後に推敲する。査読コメントに対し、誠実に、そして丁寧に回答する。そういった一つ一つの努力を積み上げていって、自分の中で完成に近いものを準備する。これができるかどうかというものが、論文の採否を大きく分ける。論文の採否が、ほんの小さなことで決まったりするのである。これまでの話にも出てきたように、熱量というものは、細部から作品に滲むものであるし、逆に雑だと思った瞬間に、その作品に対して自分自身も熱量を入れて読みたいとは思わなくなる。それが人の心情である。

⑤ 物事を動かすには、小さな努力を重ねるしかないから説

これも、物事を動かす人がよく言う言葉である。 何かを変えようとなったとき、例えば会社を変える、経営している病院を変える、研究室をもっと発展させる、と思ったときに、劇的な手によって何かが変わるということはほぼ無い。 なぜならば、ある劇的な手によって変わるので、すでにその手は打たれているのである。 システムというのは複雑に絡み合っており、何をどこから手をつけていいかわからないといったことがよくある。 打つ手が正解かどうかもよくわからない。 そういったときに、自分なりに思うベストを尽くし続けるしか改善する手段はない。そんな時に、手を打ち続けられるかどうかは、情熱こそで決まる。

私たちの研究室も立ち上がって丸6年ほど経ち、この間少しずつ成長してきたようにも思う。しかし、後から振り返ったとき、何が大きな一歩だったかはよくわからない。パワポのテンプレートを作る、Wikiを整備する、Slackのルールを作る、論文テンプレートを作る、共有フォルダで過去の資料が見えるようにする、研究活動につながる授業をする、研究室のホームページを充実させる。おそらく、どれか一つに答えがあるのではなく、こういった一つ一つの努力の積み重ねとして、今があるのだと思う。

気象制御ムーンショットプロジェクトは、小槻としては初めての大きなプロジェクトだったので、試行錯誤が続いた。PIの先生との期待値をコントロールする。資料作成を依頼するときは、こちらの欲しいインプットが手に入るようにWordやPowerPointに絵を入れる。ワークショップなど、いいと思った活動は始めてみる。前例がなくても、合宿でグループディスカッションを導入してみる。研究員をコミュニケーターにアサインして、円滑化を図る。プロジェクトの状況がわかるように、情報を流通させられるように努める。できないこと、困っていることを常に言い続ける。

そして、物事を動かすのは、雪だるまを転がすようなものだと思っていて、ある日突然ゴロッと動き出す感触が手に残ることがある。ムーンショットであれば、安永先生、濱田先生、吉見先生の尽力で2026年1月にシーディング実験をできたことで、明らかに世界が変わった。興味を持ってくれる人が増えたし、参加してくれる研究者も増えたし、報道各社からの注目も高くなったし、プログラムからの期待も高まったし、巻き込める産業界の幅が広がった。小さな努力は、こういった、ある日突然訪れる「ゴロッ」と雪だるまが転がる感触のために続けるのだと思う。

⑥ 熱意は共鳴作用をもたらすから説

熱量があるからこそ、人を巻き込むことができる。研究発表であれ、論文であれ、そこに熱意があれば、それを応援してくれる人というものが必ず現れてくる。

実際、小槻自身も、研究業界以外でも、例えば官公庁の方、会社の方、大学事務の方、JSTの方、報道機関の方など、多くの方と出会うが、うまく関係性を構築できる時とできない時がある。関係性を構築できる時の多くは、相手が同じように熱意を持っている時に起こるように思う。

この熱意というのは、ほぼ、相手が人生を真剣に生きているかということと関係しているように思う。たとえいくつかの価値観が違っても、そこに共通点を見出すことができれば、腹を割って話すことができる。困った時に助けを求めることができる。

熱意というものは、ある種の共鳴作用をもたらすのである。そしてこの熱意を共有する人から、新しいチャンスや幸運を得ることができる。

⑦ 小さなポジティブフィードバックの重なりが大きなうねりを生むから説

これまでの話を踏まえて、最後に、これがコツがみの結論である。努力や熱量というものは、一つ一つが何か劇的な作用をもたらすことがない。 しかし、その一つ一つが何かを良くしようと思って動いている。これらがポジティブフィードバックを起こすことで、より大きなうねりを生むことができる。

例えば、気象制御研究は、やりたいと言ってもやらせてもらえるわけではない。そこには過去の実績がいるし、論文もいる。論文を書くためには、一つ一つの研究に真摯に向き合わねばならないし、一つ一つの論文を仕上げきるといったことをしないといけない。また、信頼できる研究者に参画してもらうためには、関係性を構築する必要がある。自分の研究に今は直接関係がなくても、他の分野で面白いと思った研究者との関係を繋げておくことで、助けてもらうことができる。また、研究室として仕組みや体制を整えているからこそ、こうした大きなプロジェクトのチャンスがあった時に、ラボとして取り組むことができる。

研究室としての仕組みへの取り組み、論文作成の形式化や提案書の書き方といったドキュメント、フレームワークの整備、研究の進め方といったリベラルアーツとしての講義、ホームページの充実といった各種の作業は、それ自体は目に見える効果が少なくても、いずれ小さなポジティブフィードバックを重ねて、大きな変化として返ってくるだろうという予兆がある。例えば、成果が上がっていると思って入ってくれる意欲的な人が増えれば、その効果は5年後、10年後に現れる。

例えば、前にも触れた元ウェザーニューズ社の社会人博士の方は、研究室ホームページが魅力的であるというところから、私たちの研究室に進学してくれた。そのおかげで、もしかしたらウェザーニューズさんとの共同研究の話がうまくまとまるかもしれない。いくつかのきっかけが重なり合って、より大きなうねりを生むのだと思う。

まとめ

今回は、最後は捧げられた情熱が物事の成否を決めるという精神論の話をした。これはあえて精神論と言っている。しかし、こういった言葉の背景にある仕組みを解説することで、いくらか納得感は得られたのではないかと思う。

実際に、業界で物事を成し遂げている研究者たちを観察したとき、ハードワークをしていない研究者は皆無と言っていいように思う。今はそうでなくても、特に若い時には膨大な時間を捧げていることが多い。それは、それが努力だからでもなんでもなく、単純に好奇心、好きなことであるから、膨大な時間を捧げられるのだと思う。

皆が皆、そのような生き方をする必要はないと思う。しかし、人を巻き込み、物事を成していくためには、この熱量、熱意といったものが欠かせない要素になると考えているし、これこそが本質だと思っている。

繰り返すが、小さな努力・熱量は、ある日突然訪れる「ゴロッ」と雪だるまが転がる感触のために捧げられる。そこには才能は必要ないし、あるとすると雪だるまを押し続けることができる不器用さ・根性にこそある。成功している人が特別な才能を持っているわけではない。彼/彼女らは、雪だるまを転がすのをやめなかっただけなのだと思う。