千葉大学で行われた、高校生理科研究発表会に審査員として参加しました。
正直、めちゃくちゃ楽しかった。高校生という若い力を受けて自分も頑張ろうと思った。
総じて、日本の将来に非常にオプティミスティックになった。いくつか思うことがあるので、記憶の整理も含めてまとめておこうと思う。研究室の運営においても、考えるところが多い会だった。
まとめ
- 深い研究は、「正解を出すこと/何かを改善すること」ではなく、「何故そうなってるのかを理解する」ことを目的にしたときに生まれてくる
- アカデミックな研究と、夏休みの自由研究の違いは、サーベイ力。自分の不思議と、人類の不思議を結び付けられているか。
- 研究室として、サーベイを高める訓練をしていかねばならない。修論の前に、サーベイ・プレゼンテーションをした方が良いか。教員が見本を見せないといけない。
- 研究の楽しさは、知識レベルが上がれば、自由度をより求める。今くらいの設計思想でこの辺は良さそう。
(1) 研究のレベル
多くの研究は、大学におけるアカデミアな研究というよりは、どちらかというと「自分の不思議」を、実験や調査を通して明らかにしようとしたもの。好奇心 driven で実験を進めているからだし、また、自分自身で手を動かしたからだとは思うが、基本的に楽しんで研究をされている印象。例えばこのような研究。
- 星の瞬きの解釈・予測
- 夕焼けなどのことわざの統計的検討
- オーロラを発生させる物理実験
- 人は本能的に天気を予測してるいるのか?
- 和算で問題作成
- コラッツ予想へのアプローチ
- 河川の土砂堆積に関する模型実験。
数理・物理に関しては、大学レベルの物理・数学の知識がないと行えないような研究も多数あった。もっと知りたいと思ったときに、高校までの学習範囲では到底抑えられなくなったんだろう。学校の先生の指導も良いのだと思う。
その中でも、会場を見渡して数件、これ科学研究でも最先端でしょっていう研究があって本当にびっくりした。高校生レベルじゃない。本人は米国の大学への進学を希望していた。ぜひ頑張って欲しい。
(2) どんな研究が面白いのか
ひとえに、本人の思考錯誤に尽きる。高度な研究を行っていた研究は、いずれも、本人が強い好奇心で研究を進めていた。なんでアカデミアレベルに達するかというと、単純に「もっと知りたいと思ったら、大学レベルの勉強をせざるを得なかった」のだと思った。簡単にいうと、「なんでなんだろう?」と思う力が強い。
一方で、あまり深まっていない研究は、「既往研究にあるような/一般的に言われているような、正解を出す/良い結果を出す」のが目的化している印象。正解を出すことよりも、「なんでそうなってるのか」を理解することを報酬にしている (好奇心で動いている) 研究が、深まる要因なのかと思った。
(4) なぜ理科嫌いにが進むのか?
という安田学園高等学校の研究が非常に面白く、研究室の研究を考えるヒントになった。中学-->高校に進む中で、「理科が好きだ」と答える生徒の割合が減るらしい (80%-->70%)。「理科が好きだ」、と感じるための1つの手段として、理科実験の自由度をあげることを提案していた。
知識レベルが上がれば上がるほど、自由度が高くないと面白く感じない、という調査結果だった。逆に、知識レベルが低いと、ある程度自由度は抑えられている方が良い。
(3) 夏休みの自由研究と、アカデミックな研究は何が違うのか?
一番考えたかったのはこれである。まだ思考がまとまらないので、書きながら整理する。
今の研究室では、学生の興味を聞きつつ、研究のテーマは小槻が誘導していく (テーマは与えている) ことが多い。一方で、「テーマは学生に自由に決めさせています」という研究室も、かなりの割合である。後者のやり方だと、(言い方を悪くすれば) 夏休みの自由研究の延長で、あまり科学的には面白くない卒業研究になりがちである。抽象的だが、アカデミックな研究っぽくない。一方で、今の研究室のスタイルは、アカデミックな研究であることはある程度担保されている。ただ、学生に研究の面白さを伝えられているのか、という疑問・葛藤は、それなりに抱えている。
じゃあ、「アカデミックな研究」って何だろうか。今回の高校生の研究発表で、「アカデミックだなぁ」と思った研究は、1~2件あった。なんでそう思うかと考えてみたが、「自分だけの不思議」ではなく、ちゃんとサーベイ・勉強に基づいて、「人類にとっての不思議」までたどり着けているからだと思う。
もちろんみんな既往研究を紹介するのだが、このサーベイに差が出ているように感じた。サーベイ・引用文献は、「自分に関係ある研究や、自分の研究を位置づけられる研究を、つまみ食いして書いています」というパターンが結構多い (大学の卒論・修論でも)。だけど、サーベイが網羅的になってくると、過去の研究の流れや潮流をとらえ、その中で自分の研究がどう位置付けられるのか、を示すことに成功している。これを、「アカデミックな研究」だと感じたのだと思う。つまり、知の巨人と対面している感じがする。
今の研究室のやり方 (教員がテーマを誘導) だと、教員の側にサーベイ・知識の蓄積があるので、自然とテーマがアカデミックになる。ただ、自分でサーベイできる力がある学生が出てきたら、テーマ設定も自由にさせていいのかもしれない。
とはいえ、このサーベイはめちゃくちゃ難しい。経験上、このサーベイがちゃんと出来る学生は非常に稀である。これは時代と共にどんどんと困難になりつつある。科学が細分化して、かつ多くの科学雑誌がある中で、それらの論文を踏破するような網羅的なサーベイは非常に難しい。ここを教員の側でフォローするのは、至極まっとうな気がしてきた。
しかし、このサーベイは、学生が社会に出る前に教育すべき技術である。というのも、このサーベイは研究だけでなく、商品開発・マーケティングなど、いろんな業務の基礎になる力だからである。研究と同様に、ビジネスの世界でも正解はないタスクを解くため、「常に可能性が高いアプローチは何なのか?」を問い続ける必要がある。その時に、「自分の都合の良い情報だけ切り貼りしたサーベイ」では、当然人は納得させられない。網羅的なサーベイは、研究室としても教育していくべきだろう。
(5) そのほか
5.1 女子生徒の発表が多かった。おそらく男子学生よりも多い。それなのに、なんで日本では、依然として女性は研究者にならないんだろう。いくつか仮説は考えられる。
(ⅰ) 一般論として、女性の方が精神の発達が早い。男子学生がゲームで遊んでるが、女性はそうじゃない、のかもしれない。
(ⅱ) 個人的な見解として、女性で研究者になってる人は、総じてまとも。研究だけでなく、人間としても自立している場合が多い。一方で、男性で博士課程に進む場合は、就職が決まらなかった、みたいな場合もある。
(ⅲ) 研究者という仕事はそれなりに不安定。女性がリスクを避けるのかもしれない。(自分の力に自信がないと研究者にならない)
5.2 地域格差は残念ながらある。やはり、都市圏の高校の方が、研究のレベルが高い傾向にある。先生がそういう教育をしていたり、蓄積があるのだと思う。