研究室における学生・研究員の教育について、教員として考えていることを紹介します。研究者志望の若者への言葉が多い気もしますが、卒業して社会で活躍するためにも、ほとんど同じことがいえると思っています。
再現性を高める
小槻自身は、いたって普通の人間です。教育者としては、普通で良かったと思っています。それは、困っていることを言語化して解釈できる可能性が高いからです。だから、若者が研究者としての成功率を高める手助けが出来ると思っています。例えば、
・論文の書き方 --> パラグラフ・ライティングのテンプレート作成
・提案書の書き方 --> 提案書に関するテンプレートの作成
・研究の始め方 --> データ同化 or 深層学習研究のテンプレ化
・研究テーマの見つけ方 --> 考え中
これらはいずれも、自分自身の体験の中で、試行錯誤して獲得してきたことです。若者に同じような苦労はして欲しくないので、この辺りのノウハウで有益だと思うものは、極力形にして伝えていきたいと思っています。
自分と同じ苦労はしなくて良いと思っています。例えばテンプレを使って論文の発表効率が上がったとしても、そこに感謝もしなくても良いと思っています。次世代の研究者が、自分よりも前のスタートラインから研究できること、これが時代が進歩しているということです。
ただ、研究者/社会人として成功したければ、そこに努力は不可欠だと思っています。偉大な研究者の多くが、「1週間で60時間の研究」を目安として掲げています。小槻の周りで尊敬する研究者は、誰しもそれくらいの努力を払っていると思います (好きでやってるから、努力では無いかもしれないが)。努力は成功の十分条件ではありませんが、必要条件ではあると思います。最後は、捧げられた情熱と時間が、差を分けると思います。
雑談:
トヨタコンポン研究所という、いろんな分野からの中堅のスーパー研究者が集まる場で交流したことがありますが、皆さん「自分はいたって普通の人間だ。いろんなことがそれなりに出来るが、特殊な能力は何もない」と言ってたのが印象的でした。小槻も同じ感覚です。
おそらく誰しも、周りに、或る分野に突き抜けた能力を持つスーパーマンを見たことがあるはずです。科学者を目指すときに、そういった尖り切った能力を持つスーパーマンへの憧れを誰しも持つかと思います。でも、そんな特殊能力なくても、ちゃんと研究者として独り立ちできる、というのが小槻の考えです。
一般論として、得意分野の能力を伸ばすより、苦手分野の能力を伸ばす方が、コスパが良いです。センター試験のイメージだと、まず、どの教科も70点取れるところまでもっていった方が良い。何故か。それは、現代の研究者はある程度はオールラウンダーであることが求められるからです。
どれだけ数学/物理が強くでも、英語、プログラミング、言語能力、書きたいという欲求、そのどれか1つでも欠けると、論文は書けません。どれだけ深い見識を持っていても、プレゼン、研究費獲得、組織運営、どれか1つでも欠けるとポジションの獲得は途端に難しくなります。
本当の天才であれば、突き抜けてほしいですし、そのためのサポートを周りがすべきだと思います。だけど、そんな天才は一握りです。現代は、普通の人間でも研究者として足跡を残せる、或る意味で恵まれた時代なのかもしれません。
次世代のリーダー/エキスパートを育てる
教育者としての目標です。
1つの考え方として、「自分の得意分野が活き、苦手分野が足を引っ張らないように、それとなく誘導する」ことが大事だと思っています。例えば、「広く構造を掴む」のが得意であれば、研究所のエキスパートは向かないと思うし、「教えるより自分一人で深く理解する方が良い」というのであれば、教員よりは研究員向きでしょう。基本的に、全ての物事は両面価値で、長所でもあり短所でもあります。
ということで、多分、かなり学生/研究員の人間観察をしています。これは研究だけではなく、普段の振舞いを含めてです。小槻が知っていることでも、質問した利します。人間観察自体は、僕の趣味だと思います。
究極的には、自分を超える研究者を輩出することが目標です。小槻自身は負けず嫌いなのと、自分ではそこそこ努力してると思っているので、簡単に超えられたいとは思いませんが。だけど将来、心から「参った」ということが出来れば、教育者としてとっても幸せな事だと思います。