完全な自己満足ですが、どこかで悩んでいる人の助けになるかもしれません。
27歳頃: 自分は科学をしているのだろうか?
博士学生の頃、利根川進・立花隆の「精神と物質」という本を読んで、ショックを受けました。利根川進、曰く、
「どうでもいい事をやっているのに、大事な仕事をしたつもりになって、一生を終えるサイエンティストが多い。」
「サイエンティストの大半は、どうでもいい事をしている人たちです。彼らはサイエンティストを自称して、サイエンスを飯の種にしているけれど、サイエンスの側からしたらどうでもいい人たちなんですよ。」
「科学で一番大事なのは、自分自身をコンヴィンスさせる事なんです。それが本質的かどうか、徹底的に考えることが大事です。」
自分のテーマ設定に悩んでいるタイミングで、ひどく傷つきました。直観として、その時の自分が行っていたことが、「サイエンスを飯の種にしているけれど、サイエンスの側からしたらどうでもいい人」だと思えたからです。また何より、自分自身が、自分自身を納得させられていない事に気が付きました。
博士の時に、数本の英語論文は発表していました。ただ書いてる本人が、その英語論文は、世界の誰に届くんだろうという素朴な疑問を持っていました。サイエンスという世界の人が関わる社会活動の中で、無価値な論文を書いているんじゃないかという、「科学の中の孤独」みたいな感覚を覚えていました。
時を経て振り返ると、そもそもの原因は、自分の好奇心に基づいた研究ではなく、「こういう研究をしたら論文になるだろう」という、誰かの評価を気にして研究をしていたことにあると思います。自分自身の採点表を、目に見えない誰かに委ねている状況。
結局、この悩みはいくつかの試行錯誤で邂逅されていきました。
1. 自分自身の採点は、自分自身でする (内的同期への変換)
2. 「経験科学」を理解する
3. ちゃんと科学をする。
1と2については後で触れるので、ここでは3について。結局、一度きちんとサイエンスをしないと始まらないと思って、学位を取った工学・土木分野から一度離れようと思いました。
(この記事は書きかけです)
「嫌われる勇気」
「成功しないといけない病」