社会人として身に着けたいこと、身を助けることについて。
研究職に限らず、どの会社でも同じことだと思います。多分に、小槻の経験則から語っています。
研究活動や、研究室で若者を見る中で感じることを、適宜追記していきます。

「当たり前のこと」が、意外とみんなできない

例えば、当たり前のことって、このような事です。いずれも、当たり前のことですが、出来ない人の方が多いです。

・報連相: 仕事を進める上で、報告・連絡・相談をしながら進める。自分の思考だけで進めない。
・納期の確認: 仕事を引き受けるときに、いつまでにどれくらいのクオリティで仕上げるか確認する。最初の段階で、方向性を確認する。
・約束を守る: 一度言葉に出したことに、責任を持つ。もし無理そうなら、すぐに相談する。
・時間を守る: 時間に遅れない。コンフリクトがあれば、分かった時点で共有する。もし遅れそうななら、その時点で相談する。
・出来ないことを出来ないという: 無理なことは引き受けない。どこまで出来そうで、どこからが難しいのかを示す。
・チームワーク: 自分がグループや組織の中で置かれた立場を理解して、組織と自分のwin-winを図る。

世の中において、「仕事が出来る人」は、「何か凄い成果を出しているスーパーマン」だと思うかもしれまっせん。でも多くの場合は、「仕事が出来る人」とは「誰でもできる当たり前のことを、着実にこなしている」だけです。それだけで、相当仕事は出来るようになります。身の回りで、仕事ができる人を見ると、大抵の場合、当たり前のことをちゃんとできることに気が付くと思います。

差を分けるのは、大いなる才能ではなく、小さな努力を積み重ねられるか否か

ほんこれ。

仕事の目的は気持ち良くなることではなく、仕事を進めること

上の当たり前のことが何故出来ないのかというと、多分、「否定/批判されたくない」からだと思う。気持ちは良く分かる。僕もそうだった。例えば、上司から指示された納期に遅れそうなとき、怒られそうなので言い出しずらい。だけど、厳しい言葉でいえば、それは「自分の気持ちを優先」しているのであって、「仕事に対して責任感がある状態」ではない。そして世の中における仕事は、気持ちよくなるためにあるのではない。結果的に気持ち良くなることもあるが、それは仕事が上手く行ったことに付随するものである。

研究室では、上がってきたアブストラクトや論文、かなり添削します。それは、「アブストラクトや論文を否定」したいわけではなくて、「アブストラクトや論文をより良い作品」にするためにしてるんだし、ひいてはその過程で、学生/研究員に能力を上げてもらいたいと思っている。研究のMTGでも一緒で、「なんでこの実験しなかったの?」「この結果の解釈はこれで良いの?」みたいな議論をしますが、これも否定のためにしているわけではありません。もし、僕の指摘が「詰問」に見えていれば、それは違うと言いたい。「仕事/研究を進めること」を目的に設定できれば、気持ち的にも結構楽になるはずです。

また最初の「言い出しずらい」という感情を克服するのは、合理性だと思います。納期遅れの場合であれば、後になればなるほど、傷が深まります。早ければ早い程、傷は浅く済む。これは合理的に理解できると思います。また、後になればなるほど「嫌だけど言い出さないといけない」という不幸な気持ちを長く感じる必要があります。早く解消した方がラクです。

逆に、上司の立場からすると、「言い出しずらいことをちゃんと報告/共有してくれるメンバー」は、相当信頼できます。多くの人は、嫌な情報を隠します。それって見てたら大体わかるので、入念に確認しないといけなくなって、お互いに不幸です。OPENでいる方がラクです、色々と。

努力できること、真剣に取り組めること、は立派な才能

才能というと、天才的な図脳であったり、誰からも好かれるコミュニケーション能力だったり、計算機/プログラミングの技術だったりが見えやすい。

ただ、「努力できること、真剣に取り組めること」も、相当な才能です。小槻は特に秀でた能力はありませんが、真剣に努力は出来てると思います。逆にいうと、真剣に努力できるだけで、それなりにステップアップは出来るはずです。口だけで努力しない人も多いし、物事を斜に構えて努力しない人も、世の中には多いです。

自分の才能を認識する

意外と、自己認知としての才能と、他己認知としての才能は一致しない。意外と認識できないのは、才能がある事、得意なことは、自分で意識しなくても出来るからだと思います。例えば、小槻は、「他人にちゃんと質問できること」が得意なようです。でもこれは、自分では当たり前にやってたことなので、人に指摘された35歳まで知りませんでした。それまでは、単純に人に恵まれるラッキーボーイだと思ってました。

自分の才能/長所を理解しておくと、役に立つと思います。というのは、それを理解できると、その長所を伸ばして、人材としての自分を、他人と差別化できるからです。

成功したければハードワークは必須条件

最近はWork Life Balanceみたいなことが言われます。大企業で安定的に生きるのであれば違うかもしれませんが、研究者やスタートアップ会社で生き抜こうと思ったときには、若い時のハードワークは必須条件だと思います。そんなに世の中甘くない。最後は、捧げた時間だけが成功のチャンスを高めてくれるのだと思います。Chance Favors the Prepared Mind.

迷惑が掛かるのでソースの名は出しませんが、研究業界で言われてるのは、「若い時は週60時間は仕事する」です。1日10時間を6日やれば達成できます。小槻も、子供を持つまでは、当たり前のようにやってました。

研究業界であれば、アメリカ人なんかは、下手したら日本人よりハードワークです。ドイツ人は17時に帰りますが、朝は7時から職場に来て仕事してます。WLBを大事にするのは個人の主義・主張ですが、もし成功したければ、ハードワークは必須だと思います。どっちかというと、修行/苦行というよりは、楽しいから勝手に打ち込んでしまう、って感じだと思いますが。

仲間、業界からの信頼を得る

狭い世界なので、大事。食い散らかしてさっさと進めていくよりも、「この人に任せておけば大丈夫」という信頼こそが、長い目で見たときに大事なはずです。研究者でも、社会人でも、「プロフェッショナルな仕事をし続ける」ことは大事だと思います。1つ1つの成果には、少し時間がかかるかもしれません。ただ、ちゃんと1つ1つのタスクを仕上げていける人間は、多くありません。

「プロフェッショナルな仕事」をもう少し言語化したい。。。

完璧な時なんて来ない。Do Action

「準備が整ったら、何かを始めよう」と思っても、準備が整う時は一向に来ません。特に、年齢を重ねるとそれが顕著になります。家庭内や、職場内での自分の役割が増え、避けることの出来ない責任を持つから。準備・勉強を念入りにして自信が出来たら行動に移す (Waterfall)、よりも、まずはやってみて、失敗しながら改善していく (アジャイル) 方が、成長の速度も早いはず。頭で考えすぎない。

サンテグジュペリの言葉より「君という人間は君の行為自体の中に宿っている。君の行為こそ君なのだ。もうそれ以外のところに君はない!」。どんなに崇高な理想があっても、行動を伴わなければただの白昼の夢。

社会人にとって、賢いことは必ずしも有利ではない

勉強と違う点がこれ。保育園で子供を見てると、ビビりな子とそうでない子が良く分かります。ビビり子って、「こんな悪いことが起るんじゃないか」という想像力が働くのだと思います。

一般に、賢いと想像力が働きます。多くの場合、その想像力は、「これやっても無理じゃないか」「これやったら失敗するんじゃないか」というネガティブな方向に働きます。生物としてはリスクを回避したいので、これは当たり前の反応です。しかし、結果的に行動に移せないので、経験値を溜められません。頭が良いことが、デメリットとして出てしまいます。

残念ながら、現代は経験値の時代です。頭の良さでは、もう人間はAIに勝てません。いわゆる勉強が得意でも、それがデメリットなりえるというのは、知っておいた方が良いと思います。

大事なのは、成功"率"ではなく成功"数"

ホンマこれ。頭で考えて念入りに準備すると、成功率は挙げられるかもしれません。でも、試行回数が減るので、成功数が挙げられません。

研究だと分かり易い。2個テーマに取り組んで、成功率50%で1本論文書くよりも、5個テーマに取り組んで成功率20%で2本論文書く方が、研究者としては優秀です。

研究以外でも、ベンチャーの事業立ち上げでは、「いかに失敗を安く済ますか (いかに試行回数を増やすか)」が大事になります。頭で考えすぎない。

勝率9割の勝負こそ、全力を尽くす

「9割方行けるやろなぁ」、と思うようなイベントが、時々ある。大学院入試であったり、採用面接であったり、研究費の提案書/面接であったり。周りを見ていると、こういう時に舐めてかかって、痛い目を見る人が時々いる。

「勝率5割の勝負で全力を尽くす」のは、誰でもできる。「勝率9割の勝負を勝ち切る」のが、意外と難しい。結局、社会人は結果がすべて。次の「仕事は終わらせるのが難しい」にも通じるところだと思う。

仕事を進めるのは誰でも出来る。仕事を終わらせるのが難しい。

研究でいえば、「実験」は誰でもできます。その研究を「論文にまとめ切って出版する」のが難しいです。感覚的には0-->90までもっていくための労力/技術と、90-->100に仕上げるための労力・技術は、同じくらいハードです。同じようなことは、研究以外にもあります。例えば、「気象庁から気象予報業務許可を取得する」「研究センターのパンフレットを仕上げて配送する」「研究会を立ち上げる」「報告書を仕上げる」などなどなど。

上司の立場からすると、「90まで仕上げて出来ましたという顔をされてもねぇ」となります。逆に、引き受けた仕事をきちんと完遂することが出来れば、人からの信頼を勝ち取る事が出来ます。結局、この信頼やで。

優れるより、異なる方が簡単

いわゆる勉強と違って、社会における仕事の多くは、明快な答えがない中で進めて行かないといけないことが多いです。受験で行うような答え付きの問題を解く場合、より良い点数を取ることで優れることが出来ます。ただ、社会人としては、「自分なりの勝ちパターンを持って、そこに持ち込めるか」の方が大事だと思います。研究にも通じる話ですね。

この「勝ちパターン」ですが、人より優れるのは難しいです。どの世界にも天才的な人はいて、そういった人と優れる勝負をするのは大変です。また、長い目で見ると、優れた能力というのは、AIで多くの部分が代替されていくと思っています。これからの時代、「優れる」よりも、「異なる」を目指したほうが戦略的には有効だと思います。

じゃあどう「異なるか」ですが、(1) 人と異なる経験を持つ (action)、(2) 自分自身のやりたいことを大事にする (傾向を知る)、(3) 自分の長所を理解しておく などだと思います。人と異なるマインドを持って、人と異なるアクションを重ねれば、異なりは自然と身についていくんじゃないかと思います。

自分の得意分野と、他人の不得意分野を比較しない (ダニング・クルーガー効果)

この観点で、「自分は評価されていない」という人は、結構多い印象です。例えば、「自分はこんなに論文を書いているのに」「こんなに組織運営してるのに」などなど。

ただ、職業人って総合力なのです。このスタンスでいると、自信過剰になるし、世の中にも不満を持つし、あまり良いことはない。

自分の不得意分野と、他人の得意分野を比較しない (インポスター症候群)

逆もまた然り。「自分が知ってること/出来ることなんて、あの人もあの人も出来るし、大したことない」と思って自信を無くします。

結局、ダニング・クルーガー状態でもなく、インポスター症候群でもなく、フェアでいるのが一番楽です。多分、小槻はややインポスター気味ですが、これはこれで良い気がしています。適度に、自分もまだまだ頑張らねば、って思ってる方が健全かなぁと。

正直である方がラク

自分を大きく見せたり、小さく見せたりするよりも、あるがままで生活するのが一番楽です。自己顕示や卑下をしていると、良い人に恵まれないと思います。長い目で見たとき、一貫性がある事が、周りの人間からの信頼にも繋がります。野原ひろしも「一生幸せでいたいなら「正直」でいよう!」、と言っています。

自分の人生の採点官は、自分自身

周りに振り回されず、自分自身の価値観やモチベーションで動いた方が、楽に生きられます。自分の人生の採点官は、自分自身であるべきで、これを他人に委ねてしまうと苦しいです。

良くも悪くも、「自分が注目されている」という思考は、あまりしない方が楽。基本的には、他人はあんまり自分に興味を持ってくれません。彼/彼女らには、彼/彼女らの人生があります。

人の行動/言葉の背景を想像で埋めない

何も生まない。誰しも、異なる人生経験を有し、異なる思考を持っています。相手の行動の背景を、自分の思考で埋めると、基本的にはunhappyになります。

「こんなことするなんて、自分を嫌ってるんじゃないか?」「自分に意地悪をしようとしてるんじゃないか?」と思ったら、どういう意図だったのか、直接聞いてみましょう。小槻の経験則では、90%以上は誤解で、相手の話を聞くと「なるほどそうだったのか」と納得します。大学・アカデミアにおいては、幸い、意地悪な人は殆ど居ません。頭で考えすぎない。

仕事はチーム戦 / 仕事を属人化させない

仕事ってチーム戦で、各メンバーが有機的に動かないといけない。なんだけど、自分のしている仕事について情報を渡さず、「この人に聞かないと物事が進まない」という状況に持っていく人が、残念ながらいます。

自分の居場所を守り、自分を代替不可能な状況に置きたいのだと思います。しかし残念ながら、そういった人にコアな仕事が任されることはありません。その人の機嫌次第で物事が動かなくなることは非常にリスクが高いからです。結果的に、重要な仕事は任されないので、代替可能な状態になります。

チームの仕事を目的化できれば、自分自身に仕事を属人化させず、他のメンバーでもできるように情報の流通が図れるはずです。Openな人ほど、自分の仕事を代替可能な状況に持っていく傾向があります。自分の価値に自信があれば、できることだと思います。

世界や社会はそんなに綺麗にできていない。不条理は五万とある。

学校までのお勉強は、非常に整った環境が準備されている。その感覚を世の中に求めても、世界や社会はそんなに綺麗にできていない。どんなに文句を言っても、道でたばこを吸う人はいるし、並んだ列に入ってくる人だっている。会社に入れば、上司からの評価も、自分の想像通りにはいかない。

そんなときに、正義・正論で不満を持っても、ストレスが溜まるばっかりです。或る程度、世の中の不条理・不快感とは付き合っていかねばならんのだと思います。これから日本でも、外国の方と一緒に仕事をする機会が増えてくると思いますが、彼/彼女らはまさに常識が違う。自分の常識が、世界の常識ではない。

厳しいことを言えば、「世の中が悪い、自分が悪い」と自分の正しさだけを主張するのは、大学生くらいまでの論理だと思います。社会人としては、それを乗り越えて、「じゃあ自分には何が出来るのか。自分はどうしたいのか」を考えて、行動に移してもらいたいものです。30歳を過ぎても正義主張を繰り返していると、残念です。

努力は必ずしも報われない。評価点すら分からない。

残念ながら、真。努力して勉強すれば、それなりに目に見えて上がる点数と異なり、世の中の多くのことは、失敗しても評価点すら分からない。典型的な例は、就職活動。お祈りメールだけ届いて、何が悪かったか、なんて教えてくれない。でもその中で、仮説演繹して、自分なりに試行錯誤するしかない。努力は必ずしも報われないが、成功に努力が必要なのもまた然り。Chance Favors the Prepared Mind。

社会はダメな理由を考えない。良い理由が無ければ選ばれない。

いわゆる勉強と、社会が一番違うところが、これ。大学院くらいまでの勉強だと「ダメな理由が無ければ卒業できる」みたいになっていて、基本的にOKだよ、みたいな設定になっている。だけど、社会に出た瞬間、ゲームが変わる。

論文は、「ダメが理由が無ければ採択される」のではなく、「良い理由が無ければ採択されない」。

これは、博士の審査や、ビジネスの提案などに数多あふれている。相手は、ダメな理由は探してくれない。良くなければ、選ばれない。そして、そこにフィードバックも貰えない。そんな暇ないから。

正しく努力する、が難しい

これ、結構難しい。自分が出来ているかは、脇に置いておくことにする。

自分や周りを見ていると、多くの人が、「苦しい時に自分の成功体験に頼る」傾向にある事に気が付く。例えば、読書が好きな人は、人間関係のトラブルの解決を本に求める(問題は本の中には無いのに)。勉強で上手く行ってきた人は、仕事が上手く行かない時に、勉強に答えを求める (本当は人間関係が原因だったりする)。

その場その場で、求められる努力は異なる。それを正しく判断するのが、難しい。

身体的感覚が、感情を生みうる

メンタル的。誰しも落ち込み易い時はあります。個人的には、落ち込む時の多くは、体調が悪いです。例えば、体調が悪くて胸が苦しいとき、脳はその原因を求めて、「悩み」みたいな感情を後から生んだりしします。吊り橋効果と同じようなことが、日々、私達の体でも起こってるんだと思います。脳はいつでも、「異変があると、何か原因があるのでは」という活動をしてくれます。理由が分からないことが、ストレスなんだと思います。

良く分からんかったら、とりあえず外に出て、ランニングをすれば、それなりに鬱々とした気持ちは払拭できると思います。(もちろん全てではないが)