
AI要約版
ここ数年、自分は、研究成果などの「できたこと」ではなく、「まだできていないこと」や「これから挑戦したいこと」を語る機会を意識して増やしてきた。すると不思議なことに、未達成のことを話しているにもかかわらず、仲間や応援してくれる人が少しずつ増えてきた。
学生の頃は、成果を上げた研究者が自らの実績を語るシンポジウムがどこか苦手だった。しかし年を経て、自分が「かっこいい」と思う研究者を振り返ってみると、そうした人たちは過去の成果だけでなく、研究のビジョンや、まだできていないこと、しかしこれからできそうなことを語っていたように思う。優れた研究者ほど、「わからないこと」を誠実に語れる。その態度に、自分はかっこよさを感じてきた。
最近は、「できていないことを語る」ことと、「研究のビジョンを語る」ことは近いのではないかと思うようになった。未解決の問題は人を惹きつけるが、それだけでは足りない。そこに「どうすれば実現できるのか」という仮説や実現可能性が加わって、初めてビジョンになるのだと思う。ただし、これにはリスクもある。実績が伴わないまま大きなことを語ると、幼く見えてしまうこともある。だからこそ、まずは目の前の課題に真剣に向き合い、多くの経験を積むことが大事なのだろう。その先に、自分が本当に解くべき問題が見えてくる。そして、そうして見つけた「できていないこと」を語れる研究者が、人を惹きつけるのだと思う。
「できること」ではなく「できないこと」を語る
ここ数年、自分自身の中で、研究成果などの「できたこと」ではなく、「できていないこと、これからの挑戦したいこと」といった観点で話をする機会を多く持ってきた。結果的に、そのような話をすることによって、「できていないこと」を語っているのに、逆に仲間や応援してくれる人が増えてきたように感じている。今回は、なぜそのような逆説が起こり得るのかということを考えてみたい。
かっこいいと思う研究者は、「できていないこと」を語る
まず、個人的な経験からだが、学生の時から学会のシンポジウムなどに出ていて、成果を上げた先輩の研究者が、その研究成果を紹介するといったシンポジウム・イベントが好きではなかった。自分が斜に構えているからかもしれないし、研究者として生きていくの自信がなかったからかもしれないが、何か自慢されているといったような感情を持ったのだと思う。もちろん、いろんな研究者がいて、そのすべてがそのように感じたわけではないが、研究世界の階層社会において、「若者が本当に大事な成果を出すには、まだまだ時間がかかるんだぞ」、というメッセージを、暗に伝えられたような気がしたのだと思う。
年を経て、2025年のある日、退屈な業務中に時間を持て余してプリントの裏側でKJ法をして遊んでみた。そのKJ法とは、「自分が憧れ、かっこいいと思う研究者はどのような性質を持っているか」を書き出してみたのである。自分の中にも憧れの研究者像というのはあり、いろんな研究者に対してリスペクトを持っているのだが、20人、30人と書いていって、彼ら/彼女らがどのような特徴を持っているかというものを分析してみたのである。振り返ってみて、この数時間は、2025年で最も有意義な時間になった。
いくつか、かっこいいと思う研究者には共通する特徴があったのだが、その共通する特徴の一つは、「過去の実績だけではなく、研究のビジョン、今できていないこと、でもできそうなこと」を語っていた (※余談1, ※余談2)。そう思ったときに、自分の中にストンと腑に落ちる感覚があった。というのは、過去に思ってきたいくつかの出来事や、印象に残ったフレーズが一つにつながったからである。
(1) 立花隆の絶筆に『知の旅は終わらない』という本がある。その中で印象に残ったフレーズの一つが、「小さな学者はできたことを語る。中くらいの学者はまだできていないことを語る。偉大な学者は、自分の分野がどれくらいわかっていないことだらけなのかということを語る」というようなものだった。ここが逆説的で、研究者として成長すればするほど、わからないことが増えるといった状況を指している。この立花隆のフレーズは、「できていないことを語る」という発見した法則に適合、符合しているように感じた。
(2) 同じ頃、京都大学防災研究所の佐山先生が言っていたフレーズを思い出した。そのフレーズは、「自分がやりたいこと、これから成し遂げたいことを語り続けると、応援者が現れて助けてくれる」、といったものである。今振り返ると、これは企業のおける理念型経営に通じるところがあるように思う。より多くの人をまとめていくためには、目先のメリット、合理性だけではなく、より普遍的な理念に基づかないとまとまらない、という話なのだと思う。この佐山先生がおっしゃっていたのも、できていないことを語るという点で同じような性質があるように思う。
(3) 特にデータ同化界隈で、自分自身が尊敬する研究者は、普段のよくわかっていないことを聞くと、「いや、それ私もわからないんですよね」と誠実に返してくれることが多かった。ここでも、一人の研究者、サイエンティストとして、わからないことをわからないと言えるという態度に、かっこよさを感じていた。特に、ここで言うわからないとは、難しい数式変換などではなく、教科書の1ページ目、2ページ目に出てくるような当たり前の前提といったところで起こることが多い。小槻自身が尊敬する研究者は、そういった物事の考え方、捉え方、立場みたいなところに関しても、当たり前と思って受け入れずに、考え続けているように思う。
(4) 水文分野の大家である、沖先生のことを思い出した。沖先生の講演はそれほど多く聞いたことはないのだが、成果だけではなく、これからこんなことができるという夢やビジョンを常に語っている印象がある。若者が心を惹かれるのは、ある著名な研究を成し遂げた先生その人ではなく、新しく広がる世界、フロンティアに自分が出会えるかということにあるように思う。そういった観点からも、解かれていない問題、できていないこと、フロンティアを語るということは、若者を引きつける上で大事なのだと思う。
「できていないこと」を語るためのバックキャスト・why型思考
さて、そんなこんなで、できていないことを語るようになってきたのだが、この「できていないことを語る」ということと、研究のビジョンが似ているということに、少しずつ気がつき始めた。できていないこと、未解決な問題というのは、人を引きつけるフロンティアの一つの必要条件である。ここにさらに必要なのは、どうしたら実現できるのか、この方向で実現できるのではないかといった仮説、実現可能性である。研究のビジョンというのは、この未解決な問題の大きさと実現可能性の二つの側面が必要なのだと思う。こう考えた時に、ここ3、4年苦しんできた、研究室のビジョンをどうするのか、といったところに問題が帰着された。
研究室のビジョンを考えるときに大事になった考えは二つあり、一つはBACKCAST的思考、二つ目はwhyから始めるといった思考である。まず一つ目のBACKCAST的な思考に関しては、普段、自分自身が今ある研究の延長にどういう研究ができるかというFORECAST型の思考をしてきたのだが、ゲームを転換して、BACKCASTで考えなければならないといったところからヒントが得られた。このBACKCAST的な思考をなぜするようになったのかというと、一つは水文・水資源学会のイベントで、沖先生に誘われて2050年の水文学を考えるといった機会を得たこと。二つ目は、トヨタコンポン研の活動で同世代の研究者と語り、自分自身が研究者として残された時間はさほど多くないということに気が付いたことにある。いずれにせよ、35、6歳頃までは、行ってきた研究を少しずつ発展させながら、次に何を解くかということをFORECAST的に考えてきたが、最近になってやっと、解くべき問題は何かというところからBACKCAST的に考えられるようになった。
2点目のwhy型思考は、同僚の岡崎先生に教えてもらって知った。FORECAST型の思考だと、何ができるのか (what)、してそれによってどういう貢献ができるのか (why) といった順に研究を考える。研究の論文などでも、社会的な背景から始まり (why)、どのように問題にアプローチするのか (how)、具体的に何をするのか (what)といった、why --> how --> whatの順に並んでいても、研究の実態としては、what --> how --> whyの順番に考えていることが多いように思う。しかし、この思考では、いつまでも自分の知識・技術をベースに考えるFORECAST型の思考でしか考えることができない。より重要な問題を解くためには、why、how、whatの順番で考えなければいけないといったのが、why型思考のエッセンスだと思う。
自分自身の中で、このwhy型思考、BACKCAST的思考で研究ビジョンを考えられるようになったのは、39歳になった2025年の秋頃からだったように思う。その後、研究センターの講演や研究室のビジョン紹介などでも研究ビジョンを紹介する機会が増えてきたが、それなりにうまく言語化できているように思う。そういった講演を聞いて頂き、一緒に研究したいと言ってくれる企業さん・研究者・学生が少しずつ増えてきた。このFORECAST的な視点から、BACKCAST的な視点に変わったことで、研究者として1つ成長できたと思っている。研究室としては、しばらくは、今年の2026年のキックオフで紹介したような、actionableな天気予報・環境予測科学というのをキーワードにして研究を進めていくことになろうかと思う。この言語化には、自分としてはそれなりに納得をしている。
でも、まずはFORECAST型から
ただ、この「できていないこと」やビジョンを語ることは、研究者としてはそれなりにリスキーでもあるように思う。まだ実績が伴っていない状態で、できていないこと、これからのことを多く語るのは、逆にチャイルディッシュという印象を与えてしまう。研究者としては、まずは自分自身のオリジナリティ、深みを持ち、FORECAST型の研究をある程度進めた上で、こういったBACKCAST的思考に移っていくのが適切なのだろうとは思う。実績・実力が伴っていないと、人は耳を傾けてはくれない (※余談3)。
研究活動とは、山登りのようなもので、BACKCAST的な視点とは、登るべき山を見つけて、その山を順番に登っていくということにあるように思う。しかし、ある山が良い山かどうか、解くべき問題かどうかということは、その研究者自身が山を登るスキルや知識を持っていないとわからない。そのスキルや知識を得るためには、まずは多くの山を登り、経験を重ねるしかないのだと思う。おそらくそれが、研究者が若い時に持つべき経験であり、その経験を通して初めて、自分の人生を捧げるべき問題・山を発定義し、BACKCAST的に取り組んでいくことになるのだと思う。そして、そうして見つけた「解かれていない問題」を、ビジョナリーな研究者は語るのだろう。
余談
※余談1: なお、ここでも斜に構えた発言をすると、これから解きたいこと、解かれていないことといったことを語る研究者にも2種類いるように思う。一つは、本当にできていないことを語るという観点で、これは非常にかっこいい講演である。一方で、自分自身が成し遂げてきた成果を、押し売りするような形でできていないことを語っている研究者も、少なからずいるように思っている。それは、自分自身の解かれていないことを語っているようで、自分自身の成果を主張しているようにも感じたりする。
※余談2: 研究の世界においては、できていないことを語ることにより得られるメリットはそれなりに多い。例えば、研究のビジョンといった壮大なものでなくても、普段進めている研究でわかっていないこと、困っていることを学会などの発表に含めることはできる。このことに30歳ぐらいから気がついて、研究発表の中で、「ここが困っています」といったことを含めるようになると、多くの人から助けを得られるようになった。研究者のコミュニティはかなりいい人が集まっているので、自分自身が本当に考えた問題であれば、できていないこと・困っていることを発信することで、周りの人の助けを得て研究を加速させることができる。
※余談3: 経験を重ねた研究室の代表が、未解決問題を解決したいと言って、研究室全体を巻き込んでいる。研究者はそのようなイメージなのか、そういった報道・テレビ番組を目にすることも多い。小槻が今不思議なのは、その研究者は最初からそのように、人生を捧げて目指すべき目的を見つけていたのか、という点である。経験を重ねる中でミッションは明確になってきたのかもしれないが、小槻の仮説としては、その研究者も若かりし頃は、目の前の不思議、知識、真理と真剣にただ向き合っていて、その当時からBACKCAST的な思考はしていなかったのではないかと思っている。
