AI要約版

研究者から研究室を主宰するPIになると、求められる考え方は大きく変わる。研究者としての優秀さと、PIとして人や組織を判断する力は別物である。優秀な研究者の多くは、インポスター傾向を持っている。自分を疑い、より優れた研究者と比較し、慢心せずに努力を続ける。この性質は、研究者として成長する上では非常に重要である。

しかしPIになると、その考え方を他人にも当てはめてしまうことがリスクになる。面接では、相手の説明を自分の頭で補完してしまうと、相手の実力を見誤る。計画や見込みについても、相手が自分と同じように控えめに話しているとは限らない。

そのためPIには、相手の言葉ではなく、観測できるファクトに基づいて判断する姿勢が必要である。また、判断すべき案件が増えるため、「悪くなければOK」ではなく、「十分に良くなければNo」と考える加点主義も必要になる。

研究者としての誠実さは、自分を疑う力として機能する。一方で、PIとしての誠実さは、他人を過度に補完せず、事実に基づいて判断する力として機能する。

研究者からPIになって変わるゲームチェンジ

プレーヤーである研究者から研究室を主宰するPIになった時に、いくつか考え方を変えないといけないことがあると思っている。では、小槻自身が千葉大に着任してから考え方を変えたことなどを紹介していく。いつか誰かの研究室立ち上げの際に参考になれば幸いである。研究室運営や、プロジェクト・組織のマネジメントに活かせる知識であると思っている。

前提となる知識は、ダニング・クルーガー効果とインポスター症候群である。まずはこちらから説明していく

ダニングクルーガー効果 と インポスター症候群

ダニング・クルーガー効果とインポスター症候群は、どちらも有名な心理的効果なので、その説明を行っているウェブサイトなどは多くある。詳しくはそちらを参考として欲しいが、ここでは概観を説明する。

ダニング・クルーガー効果とは、特に学習の初期において自分自身の自信と実力が一致していないという効果である。特に学習の初期には、有能感に浸り、自分自身の自信が本当の実力を上回っている自信過剰な状態になるということを指している。その後で自信が落ちるのだが、徐々に実力がつき、自分の自信と実力が合っていくという効果である。

インポスター症候群とは、日本語で言うと詐欺師ペテン師の症候群である。自分自身の本当の実力よりも、自分自身が高く評価されていて、いつか化けの皮が剥がれるんじゃないか、自分自身は過度に評価されているんじゃないか、と思ってしまう効果である。

ここは小槻なりの観測であるが、優秀な研究者の多くは、どちらかというと、インポスター症候群の傾向がある。それは、自分自身の実力を俯瞰的に見たり、より実力が高い研究者と比較することによって、もっと成長しなければいけないと思うからである。ここで、インポスター症候群の「傾向」があると言っているのは、過度にインポスター症候群ではないということでもある。結果的に、自分よりも高いレベルの人と比べることによって、自分自身を努力させる、もっと向上させるという効果を持っていて、それにより結果的に実力が高まっていくのだと思っている。

余談だが、小槻が千葉大に着任して学んだことの一つは、自分の強みだけを基準に他人を評価する人・自分の得意領域を過大に一般化して語る人が少なからずいるという事実である。どういうことかというと、「自分の得意な点と他人の苦手な点を比較し、それによって優越感に浸る」という傾向を持つ人が少なからずいる。例えば、企業との共同研究は自分の方が多いとか、研究費の獲得は自分の方が多い、とか、そういった点である。一方で、インポスター傾向の研究者は、自分の苦手な点と相手の長所を比較し、もっと成長しようと考える。人間としては後者の方が誠実であると思えるのだが、社会においては前者の教員の方が強い発言し、後者の教員は謙虚であるため、時によってはダニング・クルーガータイプの教員の発言に引きずられる時がある。社会とはそんなものではある。

閑話休題。この心理的効果を理解すると、下記に述べる気を付けるべきポイントをより理解できる

(1) 面接では相手の話を自分の想像・言葉で補完しない

教員になると、面接、面談する機会が跳ね上がる。特に多いのは、留学の問い合わせや、卒読の面接である。基本的にはこういった面接・面談の機会では、相手に研究発表をしてもらって、そこに対して質疑をするという形で実力を見ることが多い。しかし、この相手を見抜くということはなかなかに難しい。

特に面接、面談で起こり得るのが、議論が一致しないということである。相手が話していることがわからないし、こちらの意図が相手に伝わっていないと感じることも出てくる。こういった時、インポスター的に物事を見ると、自分の伝え方が悪いのではないか、相手と自分の研究文化の違いが原因・差を生んでいるんじゃないかといった形で、自らに非を求めようとするのだが、そういった考え方をすると、人を見誤ることが出てくる。

要は、インポスター的に物事を見てしまうと、自分の見えない非観測領域を好意的に埋めてしまうわけである。イメージとしては、レーダーチャートで欠けている能力を勝手に自分なりに高く補完してしまうということをしてしまう。ただ、経験的に言うと、相手がうまく伝えられないのは、相手の実力であることが多い。例えば、図をうまく説明できない、研究の背景をうまく説明できない、方法の妥当性をうまく説明できないといった時には、相手側の実力に問題があることが多い。ここで、質問に対して相手が答えない時に、勝手にフォローしてしまうと、相手の実力を見誤る。「こういうことではないですか?」とフォローしてしまうとか、「こういう解析を考えましたか?」といった具体例を出して補完をしにかかってしまうと、相手の実力をあぶり出すことができない。自分自身の脳内でよく補完するのではなく、ある種制約して見て、相手の実力を見抜くような視点が必要となる。

(2) ファクト主義

相手の話や計画ではなく、ファクトに基づいて判断をする傾向を身に着ける。

基本的にインポスターの研究者は、自分自身が過度に相手に期待されないよう、計画や見込みを抑えめに申告することが多いように思う。例えば、どれぐらいで論文が書けそうかとか、ある研究タスクがどれぐらいで完了できそうかといったそういった見込みである。ただ、多くの人が自分と同じように控えめに課題を設定していると思うと、ここでも相手とのミスマッチが生じ得る。

これは計画力の問題なのかもしれないが、自分自身がある計画見込みについて述べるときには、ある種のトラブルも想定した計画見込みを立てる。研究計画については、自分自身が思ったプランのおおよそ3倍か4倍程度の時間がかかると思っておいた方がいいということを卒業論文で学んだりする。また、報告書、計画書、発表スライドの作成など、多くの物事にもトラブル込みの時間を設定することで、リスクを回避する。それは対応する物事自体に時間を割けないこともあるし、大学、プロジェクト、家庭といった、さまざまなトラブルによって、計画通りに進められない場合があるということをある程度は想定して計画をするからである。

一方で、こういった計画、読みというものを期待、一番いいシナリオで考えてそのまま述べるメンバーもいる。ここで、自分は控えめに計画をすると考え、一方で相手が過大に計画を述べるという状況があり得ると、期待値の相違が起こり得る。「この研究はうまくいっている」とか、「この研究はこれぐらい完了しそうだ」とか、「この論文はこれぐらい書けそうだ」といった計画の話を過度に信じすぎると、それに基づいて研究室の計画を立てることによるトラブルが生じ得るのである。

また、学生と教員の期待値を一致させるためにも、ファクト主義は重要である。例えば、「研究を頑張ります」といった発言に対する期待値は、研究者である教員と学生では異なったりする。研究に情熱を捧げてきた教員にとって、研究を頑張る = 1日に10hくらい研究します、と聞こえてしまうが、学生にとっては 1日に3h研究します。なのかもしれない。このミスマッチの上で学生に負荷をかけてしまうと、お互いにunhappyである。結局、言葉ではなくファクトを見て判断しないといけない。

こういったことが重なり、結局は長期のファクトで見るということを学ぶ。 ファクトというのは、実際にその研究がどれくらいで完了していて、本人の話とどれぐらいずれがあったかとか、過去2年3年見た時にどれぐらい論文を書いているかとか、実際に統計の数字として表せるものである。

意識すべきは、真実と事実と解釈の違いである。真実は誰にもわからない真実である。事実・ファクトはお互いに共有できることである。解釈は人の数だけ無数にある。研究においても、この解釈とファクトの区別というのは非常に大事であった。同じように、研究においても、過去個人の解釈と、実際に起こっている事実、ファクトということは意識的に区別しないと、物事を見誤る。

そして、そのファクトを得るために、統計を取る仕組みも重要である。過去の定期的な研究進捗状況や、論文・学会の発表状況など、ファクト・統計を得る仕組みがあれば、それに基づいて建設的な思考・議論ができる。これは人を雑に扱うためではなく、限られた時間と責任の中で、受け入れた人に対して十分なコミットメントをするためでもある。

(3) 減点主義から加点主義へ (悪くなければOK、ではなく、良くなければNo)

物事を判断する原則を、減点主義から加点主義に変換する必要が出てくる。 その背景は、判断すべき案件が膨大に増えてくるからである。

例えば、留学生からの留学の問い合わせを考えてみる。この時、すごく良いとか、すごく悪いないということはあまりなく、一番多いのは、可もなく不可もなくといった状況である。これまで、研究室としては、そういった場合には、受け入れを断ってきたが、それはこの加点主義に基づく判断である。

一番の理由は、減点主義で考えると、断る理由をこちらが考えないといけなくなるからである。そうすると、特に理由を挙げられない場合が出てくるのである。人として誠実であろうとすると、きちんとフィードバックを書こうとも思うが、そのフィードバックが余計にトラブルも生み得る。余談だが、企業の採用面接において、単調な返信しか来ないのも同じような理由にあるかと思う。変にフィードバック理由を書いてしまうと、それが理由でトラブルが起こり得るからである。

こういった難しい判断は、加点主義で考えると非常にシンプルになる。自分なりに閾値、合格ラインがあり、加点主義でそこに達していないのが理由だから、シンプルに基準に達しなかったという理由で断れるのである。

冷たい判断をしているようにも見えるが、繰り返すように、単純に判断する案件が多すぎて、こうせざるを得ないという側面がある。この減点主義から加点主義へという考え方は、例えば論文の査読判断にも役に立った。 論文をリジェクトする理由を考えるとしんどいことが多いのである。悪い理由はそんなにないけど面白くないといった論文も多くあり、そういった時にもこういった加点主義で考えると断ることができる。また、難しい判断としては、授業の単位や修了の判断といったところにも関係してくる。ここで、減点主義で考えてしまうと、問題が道徳、モラルの問題になってしまう。これは、教員側への過度な負担であるとも思う。加点主義で単純に点数が足りていない、出席が足りないといった判断ができれば、自分が悪者にならずに済みやすい。

つまりは、「悪くなければOK、ではなく、良くなければNo」という判断をしていくと、シンプルに考えやすくなる。

まとめ

今回は、ダニング・クルーガーとインポスターという視点で、PIになったあとに気が付いたポイントをまとめてみた。

繰り返すが、優秀な研究者になっていくような研究者は基本的に優秀であり、インポスターの傾向があるのである。これ自身は自分自身の能力を向上させる、慢心を避けるという点で非常に良い個性であると思っている。一方で、それを他人に当てはめてしまう時にリスクが生じるのである。特にトラブルは一度引き起こしてしまうと、そこに多くの時間や労力を取られてしまう。他人と自分の間にズレがあると思った時に、この他人がクルーガーやインポスターという切り口で見てみると、理解できることが多くなるかもしれない。

研究者としての誠実さ・優秀さは、自分を疑う力として機能する (インポスター)。一方で、PIとしての誠実さは、観測できる事実に基づいて判断する力として機能するのだと思う。