AI要約版

研究の進め方には、大きく分けて「ベクトル・観察型」と「ターゲット・サーベイ型」があるのではないかと最近考えている。

ベクトル・観察型の研究は、最初から明確なゴールを決めるというよりも、「この方向に進めば面白いことがありそうだ」という感覚を頼りに研究を進める。まず現象を観察し、違和感やアウトライヤーを見つけ、そこから問いを立てていく。研究の目的は、理解を深めること、物事の解像度を上げること、新しい問いを生み出すことにある。研究はアートに近く、既存の地図にない場所を探す営みでもある。

一方で、ターゲット・サーベイ型の研究は、まず先行研究を調べ、何が分かっていて、何がまだ実現されていないのかを整理した上で、目標を定めて研究を進める。既往研究でできなかったことを実現する、既存手法よりも精度を上げる、というように、明確な差分や到達点を重視する。研究はスポーツに近く、既存のルールや評価軸の中で知識体系を確実に前進させる強いスタイルである。

この二つは、どちらが良い悪いという話ではない。ベクトル型には、新しい問いや面白さを発見できる強みがある一方で、再現性が低く、言語化しにくい弱さがある。ターゲット型には、論理的で再現性が高く、論文・技術・社会実装につながりやすい強みがある一方で、既存の科学ゲームの中に収まりやすい面もある。

私自身はどうやらベクトル型の研究者であり、大学で研究室を運営する中で、その傾向がさらに強まったのだと思う。一方で、ターゲット型の学生や研究員にとっては、私の研究の進め方は不安に見えることがあるのだろう。明確な目標やゴールが定義されないまま船が進んでいくように感じられるかもしれない。しかし、生成AIが論文執筆を支援できる時代になった現在、「立てた問いをどう解くか」だけでなく、「何を解くのか」という問いを立てる力がますます重要になる。良い研究者とはどんな研究者かという問いにはいろいろな答えがあるが、私は「良い研究者とは、面白い問題を見つける研究者である」という考えを支持している。

ベクトル型もターゲット型も、それぞれに強みと弱みがあり、どちらも研究室の発展には欠かせない。研究スタイルの違いは、ときに不安や違和感を生むかもしれない。しかし、その違いの中にも、きっと学べることや盗めるところがある。その違いを理解しながら、一人ではたどり着けない研究に進んでいける研究室を目指していきたい。

ベクトル・観察型研究 と ターゲット・サーベイ型研究

大学の先生になって楽しいことの一つは、自分自身とは違う研究スタイルに出会うことである。

自分だけで研究を進めているうちは、自分のやり方があくまでも普通なので、研究の進め方にそこまで違和感を持つことはない。しかし、人と一緒に仕事をするようになると、研究の進め方や考え方に違和感やモヤモヤを持つことが出てくる。最近、このもやもやの一つが言語化されたので、それを内容として残しておきたいと思う。それが、ベクトル・観察型研究と、ターゲット・サーベイ型研究である。

初めに断っておくと、この二つの型には違いはあるものの、どちらの良し悪しを比べているわけではない。コインの表と裏のように、どの個性にもPros/Consがある。しかし、当たり前だと思っている研究の型の感覚が違うと、ベクトル・観察型の進め方と、ターゲット・サーベイ型の研究では、根本のところですれ違うことがあり得るのだと思う。そういう意味で、こういった二つのタイプがあることを知っておくことは、人と研究を進めるときに役に立つのではないかと思う。

一般論: ベクトル研究 と ターゲット研究 の違い

① 研究観の違い

ベクトル型研究は、研究を進めるときに、研究が向かっていく方向を意識する。この方向でいけば面白くなるか、この方向でいけば何か新しいことができるか、というベクトルの方向で考える。そのため、初期の時点において、どこまで行くのがゴールかといったことはあまり考えない。ベクトル型研究にとって、研究とはアートのようなもので、新しい問いを生み出すのが究極的な目的となる。

一方で、ターゲット型研究は、何が実現すればゴールなのかを考え、それに向けて最適なプロセスを考える。ゴールが何か目標を実現することなので、それを通る過程、パスは、その目標実現のための手段になる。ターゲット型研究にとって、研究はスポーツのようなもので、既存研究との差分を示すのが目的となる。

言うなれば、先に進むべき道の方向を決め、その方向に進んでいこうというのがベクトル型である。一方で、先に目標地点を決めて、目標地点に至るためにはどのパスを通るべきかを考えるのが、ターゲット型の研究である。

② 研究の始め方

ベクトル型研究は、まず観察から入る。具体的なリサーチクエスチョンを明確に立てる前に、まず面白いと思うものを見つけ、その方向に研究を進めていくのである。これは例えば、アリの研究者をしている生態系の研究者が、まずアリの観察から入ることに似ていると思う。最終的には仮説を立てて、実際に実験であったり観察研究をしたりするわけだが、その前にまずあるのは、対象に対する好奇心であったり、直感的な面白さなのだろうと思う。観察型の人は、現象の中にまだ言語化されていない問いが眠っていると信じている。

一方で、ターゲット型研究はまずサーベイから入る。今日、何が研究されているか、何が人類に実現可能なのかということを知り、その上で目標を決め、その目標が新しいことかどうかを大事な評価軸にするわけである。これは、例えば、ファクト性がより重視される化学系の研究などの感覚に近いのだと思う。世界中で同じ実験が再現可能な化学反応の研究であれば、その研究がすでにされているかどうかは非常に重要になる (※ もちろん、化学研究でもアイデアなどにアートはあるのだと思う。あくまで傾向としての話なのでご容赦)。そのため、まずサーベイによって、その研究がされているかどうかを確認することが大事なポイントになるのだと思う。サーベイ型の人は、研究コミュニティの蓄積の中に、次に解くべき問いが整理されていると考えている。

③ 研究の目的

ベクトル型の研究者にとって、研究の目的とは、つまるところ、理解を深めること、自分自身の不思議を解決することである。「解像度を高める」という、最近よく売れた本があるが、物事を知るということは、これまで粗く見えていた現象を、より細かく見られるようになること、メカニズムの仕組みであったり、面白さを紐解くことにあるのだと思う。ベクトル型研究において重視されるのは、従来の研究では注目されてこなかったアウトライヤーである。これまでの研究で記述できないこと、一般的な理解では説明できないような、その特異的な振る舞いに興味を持つのだと思う。

ターゲット型の研究者にとって、研究の目的とは、これまでにできなかった目標を実現することや、ある目標に対する精度を高めることであるように思う。そのため、ファクトとして、既往研究でできなかったこと、既往研究で解けなかった問題、既往研究よりも優れた精度というものを重視する。ターゲットを重視しているため、必ずしも過程における手法やプロセスは、その目的に応じて最適に選択する。また、アウトライヤーに注目するベクトル型の研究とは異なり、物事の普遍性、一般性に対してより興味を持っているのだと考えている。

④ 研究の地図 と 再現性

ベクトル型の研究者にとって、研究の地図は、自分の言葉で理解した自分の頭の中にある。そして、その地図は、多くの場合、自分自身の観察や経験に基づいて体系立てて整理されている。研究を進める場合も、まず観察から入り、観察で面白いものを見つけた上で、サーベイをして、その観察の意味づけを整理する。「何が面白いのか」を起点に考えるため、既存の地図にはない発見を行うこともできるが、言語化が難しく再現性は低い。

一方で、ターゲット型の研究者にとって、地図とは、過去の人類の経験、知識の蓄積、論文の蓄積の上にある。もちろん、自分自身の言葉で解釈をするのだが、過去に他の研究者が報告したことも重要視して地図を形成する。そのため、人類の知識という地図を読む力は非常に強い。研究を進める際にも、サーベイをしてから実際に研究を始める傾向にあるように思う。「何が新しいのか」を起点に考えるため、再現性は高いが、既存の科学ゲームに沿った戦い方になる。ターゲット型研究は既存の知識体系を確実に前進させる強い研究スタイルであり、論文・技術・社会実装の多くはこの力によって支えられている。

⑤ ファクト重視性 と ユニークネス重視性

観察型かサーベイ型かという違いは、研究分野において、ファクトが重視されるか、ユニークネスが重視されるかというところにも関係してくるのではないか、という点にあると思う。

先ほどの例にも挙げたが、例えば化学反応であったり、ファクトが重視される研究分野というのはあるように思う。もちろん、そのファクトがなぜ生まれるのかということに対する考察や、理解を深める必要はあるのだが、どこまでいってもやはりファクトは重要なので、既存研究のサーベイなしには研究は成り立たない。

一方で、観察型研究は、物事の振る舞いのユニークネスに興味や関心を持つのだと思う。アリの生態の研究もそうだが、例えば、人文社会系の研究者と話していても、この観察型が多いように思う。例えば、法的・倫理的・社会的な問題を扱うELSI型の研究者などは、まずその問題に対してアプローチや実験を始めてみて、その上で理解を深め、何がこの問題にとって特定のユニークネスなのかを考える傾向があるように思う。

ここで、地球科学の面白いポイントは、このファクト型研究とユニークネス型研究がどちらも成り立つ点にあるのだと思う。例えば、気象現象などは、もちろん法則によって決まっているので、そういった観点ではファクト型の要素があり、既存研究のフォローが重要になる。一方で、現象というのは地域によって多岐にわたり、また、同じような現象であっても特異的な現象ということも頻繁に起こる。そのため、観察から入り、なぜそういったことが起こるのかを考えることも成り立つのである。つまり、地球科学は、観察型研究とサーベイ型研究がどちらも成り立つ面白い分野なのだろう。

小槻自身について

研究所で研究をしていたときに、ここで行っている研究はスポーツのようなものだと考えることがあった。基本的には、パソコンを使った研究の多くは解くべき問題が決まっていて、その問題をいかに精度高く、高速に解けるかということを競っている。オリンピックの陸上競技のように、世界中の研究者とぎりぎりのタイムを競っているという感覚があった。もちろん、国にとってこういった研究は重要で、わかりやすく、必要な技術をより高い精度で実現するというところには、非常に多くの技術の蓄積が必要となる。

一方で、大学に来て学生と研究するようになってから、このようなスポーツのような研究は大学では難しいと感じることもあり、ベクトル型の研究に移っていったのだと思う。スポーツ型の研究では、例えば研究所のようなプロの研究者がたくさんいる機関とまともに勝負しては、大学は勝てない。なので、新しい問いであったり、面白さというものを発見していく方向に舵を切る必要があった。

研究をスポーツに例えるようなことは、似たようなことを東京大学の沖先生も言っていたらしく、いわく、アート型研究、スポーツ型研究と呼んでいたそうである。このアート型研究とスポーツ型研究というのは、そのままベクトル型研究とターゲット型研究に当てはまっているのだと思う。

このベクトル・アート型か、ターゲット・スポーツ型かというのは、自分の中でゼロか100で決める必要はなく、バランスを取るべきものなのだと思う。アート型研究は当たり外れもあるし、当たり率がそれほど高いとも思えない。なので、自分の中に、ターゲット・スポーツ型の研究と、アート・ベクトル型の研究を両立させていった方が良いのだと思っている。

研究者の中にも様々なタイプがあり、特に成功を収めている研究者の中には、文献調査を非常にしっかりするという研究者も多い。特定のジャーナルの論文タイトルはすべて目を通し、それに基づいて世界観を構築し続けるといったことをしている研究者も多いのだと思っている。一方で、小槻自身はあまりサーベイが好きではない (と書くと語弊を生みそうなので補足すると、とはいっても相当読んでいて、過去の論文で引用してきたこれくらいは頭の中に入っている)どちらかというと、新聞を読む感覚で出版される論文に目を通すというよりも、自分自身の感性や感覚に基づいて情報を整理していきたいタイプなのだと思う。一般的には、サーベイをきっちりして研究テーマを立てる方がよいと教わると思うし、小槻もそう思うのだが、こんな感じでもなんとかなってきた。

小槻自身の課題

このベクトル型・ターゲット型ということが最近言語化されたことで、自分自身の課題についても言語化することができた。

小槻自身はどうやらベクトル型のようである。それが大学に戻ってきて強化されたのか、元からそうだったのかというと、元からそうだったのだと思うが、大学に来て、大学で戦っていくために、よりベクトル型研究の要素が強化された。

ベクトル型研究で研究の方向を決めていてマッチするのは、ベクトル・観察型の研究スタイルが合っている学生や研究員である。これはタイプが合っているので、それほど違和感がないし、「この辺が面白いんじゃない?」といったことに対して、一緒に調べてくれるので、研究自体は進めやすい。小槻自身が改善すべきなのは、ターゲット・サーベイ型の研究が自然なメンバーへの対応である。例えば、時々起こるミスコミュニケーションにこういったことがある。

例: ある研究の方向が面白いんじゃないかと話している際に、「それに関しては、こういった研究がすでに行われていて、論文化されています」というレスポンスが返ってくることである。このとき、小槻自身はベクトルで考えているので、その最初のターゲット自体は通過点であり、その先により面白いものが広がっているのではないかと思って見ている。しかし、ターゲット型に解釈すると、その最初の終着点ですでに実現されているので、そこには新規性がないように見えてしまう。小槻自身は、新しい視点や解像度を高めることで別の筋で論文も書けると思っているものが、それをターゲット型的に捉えてしまうと、新しさや新規性が低いため、論文が書きにくいと感じてしまうようである。

例: ある研究の方向が面白いと考えているときに、「その研究のゴールを定量化すると何ですか?」というレスポンスが返ってくることがある。こちらとしては、いや、最初からそれを決めるのではなく、まず進めてみないと、ゴールや定量的な目標は設定できないだろうと思ってしまう。しかし、ターゲット型としては、先にそういった定量的な目標やゴールを決めるので、後からそういったゴールや目標を決めることに違和感が起こるのだと思う。

繰り返しになるが、ベクトル型かターゲット型かというのは、個人個人の個性によるところが多いと思うので、どちらが良い悪いということをここで議論しているわけではない。一方で、自分自身がどちらなのかを認識しておくと、自分自身がベクトル型であるがゆえに起こる、相手との認識のズレを理解できるかもしれない。

小槻自身も、このベクトル型かターゲット型かという言語化に6年かかったわけだが、自分自身の中に、ターゲット型の研究が向いている学生や研究者に対して、より良い研究の導き方に関する技術を身に着けたいと思う。

自分がターゲット型だと思う研究室のメンバーへ

おそらく、ターゲット型の研究スタイルにとって、小槻のやっているベクトル型の研究スタイルは不安になるのだろうと思う。明確な目標やゴールが定義されないまま船が進んでいくような感覚で、どこまで行けばゴールなのか、ゴールが分からずに進んでいる方向自体もよく分からない、といった点で、不安になるのだと思う。

その点は申し訳ない。

一方で、ベクトル型の研究者というのも少なからずいるし、それによって成功している研究者も多い。「論文を読むのはあまり好きではないから、人がしていない研究をする」と言って、大きく大成した研究者もいる。ベクトル型もターゲット型も、どちらも世の中にはいるので、自分とは異なるメンバーとの付き合い方も、習得すべき一つの勉強だと思って付き合ってみてほしい。

しかし今、世の中では、過去よりもベクトル型・アート型の発想が求められているということも知っておいてほしい。ベクトル・アート型の研究の弱点は、再現性が低いこと、ロジックに弱いことであり、その裏返しとして、ターゲット型は論理的である。このため、一般的な論理で戦ってしまうと、ベクトル型よりもターゲット型の方が良いという判断になりやすい。ところが、現在世の中で言われているのは、このロジックに強いターゲット型の発想だけで進めることの弊害、つまりコモディティ化である例えば、売れる商品を作ろうと思ったときに、ターゲット型・ロジックドリブンでいってしまうと、同じような商品が世の中に並んでしまい、差別化ができなくなり、コモディティ化が進む。今後の時代においては、これまで以上にアート、直感の力が大事ではないかという指摘もあり、これまでロジックの面では勝てなかった、リベラルアーツに対する注目も高まっている (というのを、世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」 by 山口周 という本を2025年に読んで、結構感銘を受けた) 。

生成AIが論文を書ける時代になった現在、「立てた問いをどう解くか、という力」の重要性は相対的に低下し、それよりも「何を解くのかという、問いを立てる力」が、より重要になってくるのは、間違いない。

良い研究者とはどんな研究者なのか、という問いにはいろいろな答えがあり得るが、小槻自身は、「良い研究者とは面白い問題を見つける研究者である」、という考えを支持している。小槻自身にとって面白い問題とは、ある問題を解いた後に、その先に別の問題が広がったり、コラボレーションが広がったりするような、何かが起こりそうだという研究テーマである。

客観的に見ても、今うちの研究室には、これだけの研究員がそろい、研究費を獲得し、また、博士学生を含めた人も集まっている。いろいろな相互作用があり、その理由を一つに特定することは困難なのだが、その一つは、「なんかここは面白いことが起こりそう」という雰囲気なのではないかと思っている。他の人からの評価はさておき、小槻自身は、今研究室で進めている研究はどれも面白いと思って進めているし、これから先、もっと伸びると信じている。研究スタイルの違いは、ときに不安や違和感を生むかもしれない。しかし、その違いの中にも、きっと学べることや盗めるところがある。そう前向きに捉えてもらえると嬉しいです。

なお繰り返すが、ターゲット型研究は既存の知識体系を確実に前進させる強い研究スタイルであり、論文・技術・社会実装の多くはこの力によって支えられている。つまり、ターゲット型は、本当に偉い。ベクトル型・ターゲット型には、それぞれに強みと弱みがあり、どちらも研究室の発展には欠かせない。その違いを理解しながら、一人ではたどり着けない研究に進んでいける研究室を引き続き目指していきましょう!