
AI要約版
このコラムでは、「真剣にやること」と「真面目に努力すること」の違いについて考えている。
真面目に努力する人は、与えられた役割や目の前の課題に対して、一生懸命取り組もうとする。一方で、真剣な人は努力そのものではなく、目的や成果に意識を向け、「このやり方で本当に目的に近づくのか」を考える。そのため、必要であれば自分の苦手なことに取り組み、人に相談し、共同研究者を探し、やり方や環境そのものを変えていく。
小槻自身も、M2の頃に研究者として将来ポストを得たいと考え、学会では毎日一度は質問すると決めた。研究そのものだけでなく、自分を知ってもらい、人とのつながりを作ることも目的達成には必要だと考えたからである。研究者としての評価や信頼は、研究成果だけでなく、普段の立ち振る舞いやコミュニケーションの積み重ねからも生まれる。
同じことは組織の中でも言える。自分の居場所や立ち位置は、ちょっとした仕事を引き受けたり、困りごとを解決したり、非効率を改善したりすることで、自ら作っていくことができる。また、大事な意思決定や研究の進展は、正式な会議だけでなく、廊下での立ち話や雑談の中から生まれることも多い。
結局、本当に結果を求めるのであれば、得意なことを一生懸命やるだけでは足りない。自分の苦手なことやボトルネックにも向き合い、人間関係や環境づくりまで含めて、目的達成に必要なことを取りにいく必要がある。
真剣に取り組んでも失敗することはある。しかし、難しい目標は、そもそも真剣に取り組まなければ達成できない。だからこそ、自分が情熱を持つ対象には真剣でありたい。
真剣にやる ≠ 真面目に努力する
夏休み中のプライベートな会話で、『真剣にやらないのはダサい』という言葉が非常に心に残った。
小槻自身は仕事や家庭にはそれなりに真剣だと思っているが、すべての方面に対して真剣とは自分で思っていない。そのため全方位に真剣であるということはおそらく難しいだろう。しかし自分自身が情熱を持ったり、時間を捧げている対象に対しては、やはり真剣に取り組んでいった方が人生を楽しめると思う。その方が学びも多く得られ、自分自身のステップアップにつながるからである。何より、真剣な人に囲まれて生きていくことができる。
これは哲学的な考え方であるが、「それが何かを考える」ためには、「それが何でないかを考える」方が早い場合がある。そのため、ここではいくつか、真剣に近そうで、真剣とは違う概念との比較から考えてみたい。その観点で、「真剣にやる」と「真面目に努力する」の違いを考えてみたい。
松下幸之助の話しだったかと思うが、「真剣にやること」と「真面目に努力すること」は違う、という話がある。真面目にやるというのは、目の前の自分のミッションを正確にこなすということである。一方で、真剣にやるということは、結果を出すことを心に決めるというのが大きな違いだと言っている。例えば、サイボウズの社長の青野さんも、この言葉で考え方が変わったと言っている。真剣になると何が違うかというと、批判や失敗が怖くなくなるということである。
小槻自身の話
例えば、小槻自身は研究者になろうと思ったM2の時、学会に参加するときは毎日1回は質問をしようと心に決めた。それまでに出た数回の学会で、結局は特定の人しか質問をしないんだなということは、なんとなくわかってきていた。自分が将来、大学でポストを得たり、人との繋がりをつくっていこうと思ったら、研究をするのはもちろん大事だが、同時に自分自身の名前を覚えてもらわないと話にならないと思った。そのために、学会の大きな会場で手を挙げて質問するのが手っ取り早いのではないかと思ったのである。
とはいえ、M2の学生にとって、100人を超える会場で手を挙げて質問するというのは簡単ではなかった。なので、事前に学会の発表の要旨を読み漁って、質問できそうな発表に目星をつけて、その発表に対して質問しようと思っていた。今でも忘れないが、一番最初に質問したのは、当時ICHARMにいた佐山先生の洪水氾濫シミュレーションの研究だったように思う。堤防か何かのパラメータをどう決めたのか、ということを質問したような記憶がある。その質問は、それほど良い質問ではなかったと思うが、その1回のきっかけによって、その後、自分自身でも学会でちゃんと質問していいんだということがわかってきたように思う。
僕がよくわからないのは、「将来ポストを取って研究室を持ちたいんです」と言いながら、それに適した努力をしているように見えない人間が、それなりにいることである。結局、ポストであったり、研究費であったり、論文であっても、その成功率を高めるには、「周囲からどのような研究者として認知され、信頼されているか」という他者からの評判が大事になってくる。そのときに、学会や研究会などで発言して、プレゼンス・バリューを上げていくというのが非常に簡単な方法である。一方で、そういった努力をせずに、目の前の研究に集中する、目の前の研究費獲得に集中するといったことは、真面目にはやっているんだと思うが、本質的なところで真剣には取り組んでいないのではないかと思ってしまう。
逆に言えば、目的に対して適切に努力できる人間になれれば、その時点でかなり少数の側に入れる。学会での質問や、研究センター、研究室の中での見られ方というのは、普段の振る舞いの延長になるものだと思うが、多くの場合、所属する組織の外からも注目されて「小槻さんのところの~~さん、いいですね」という話題になる。それは研究の中身だけではなく、普段の立ち振る舞いから始まっているのである。
バリューを出して居場所を作りに行く
最近聞いた奥さんのゲームの話で、ソシャゲの中で居場所を持っているメンバーというのは、後から参加したメンバーであっても、バリューを出して居場所を作っていっているという話を聞いた。例えば、他のメンバーにとって便利になるツールを作ったり、大事なことをリマインドするといったことを積極的に行うということである。これはたかがゲームであるが、仕事における物事の本質をついているとも思った。
研究室でも仕事でも一緒だと思うのが、もし組織の中に自分の居場所、立ち位置を固めようと思えば、その中でバリューを出していくことである。そして、そのバリューはどこからでも出せる。ちょっとした仕事を取りに行ったり、ちょっとしたお困りごとを解決したり、ちょっとした非効率を解消していく。そういった少しの努力だけで、自分自身の立ち位置、ポジショニングというものは定まってくる。そうなると発言力も高まるし、仕事も進めやすくなる。だいたい組織においてステップアップしていく人は、ちょろちょろしていて、視界の端に入ることが多い。それは、視界の端に入ることで仕事を任されやすかったり、廊下で話を詰めて先に進めることができるからだと思う。
自分自身がPIとしても、また学生・研究員としての経験からも思うのだが、多くの場合、大事な意思決定というものは研究室のミーティングでは行われない。大事な発見や意思決定は学会中の雑談であったり、廊下の立ち話であったり、飲み会中の意見交換であったりといった、わかりやすい土俵ではないところで生まれる。逆に言えば、そういったふとした機会を捉えて人とコミュニケーションを取ることは社会人にとって重要なスキルなのである。僕自身の観察でも、研究を前に進めるメンバーは多くの場合、廊下ですれ違ったときに何か用事を話しかけてくる。
一方で、「真面目にやっているけど評価されない」という人は、それはただ真面目にやっているだけなのである。与えられた外部環境の中で真面目にやっていると思っていて、それは素晴らしいことなのだが、ほとんどのゲームは、その外部環境を考えるところから始まっている。これも研究も仕事も一緒で、いい研究成果を上げようと思うと、人との付き合いから始まっている。いい共同研究パートナーに恵まれた方がいいし、人に助けてもらった方が、より早く自分自身も成長させることができる。結果が本当に欲しくて真剣に取り組むなら、研究そのもの以外も含めて、結果を生む環境を自分で作りにいくところから始めないといけない。
結局、「真剣にやる」とは?
真面目な人は、成果を挙げようとしたときに、自分の行動にどーかすして「もっと頑張る」となる。
真剣な人は、目的と結果にフォーカスして「これで本当に目的に近づくのか?」を考える。
これが大きな違いなのだと思う。だから真剣な人は、場合によっては研究を一旦止めて人に相談するし、学会で名前を売るし、共同研究者を探すし、やり方そのものを変える。努力量ではなく、努力の方向を含めて考えられるのである。
真面目な人の「努力する」とは、真面目に努力しているつもりでも、気がつくと「自分が得意なことを一生懸命やる」ことに努力が偏っている場合がある。多くの場合、自分が得意なことは楽だし、心理的負荷も少ないので取り組むことができる。一方で、結果を出すためには、自分が得意なことよりも、むしろ自分が苦手なこと、ボトルネックをどう潰すかといったところに意識を払った方が早い場合が多い。なぜならば、何か一つの成果物を出すためには、得意なことだけではなくて、苦手な工程を含めて完成させないとならないからである。その意味では、もし「自分が得意なことだけを頑張る」と考えているのであれば、それは自分自身をコンフォートゾーンの中に置いておきたいと言っているのと同義である。
結局、真剣な人は目標や成果に対して真剣なのである。もしかしたら、それでも失敗するかもしれないし、それでもできないことがあるかもしれない。でも、真剣に取り組まないと、そもそも難しい目標は達成できない。
自分自身を安全な場所において、周りを批評することに終始する社会人は、いくらでもいる。でも、人生は一回しかない。どうせなら、その1回の人生を楽しみ切るために、目標・目的に対して真剣に取り組みたいものである。真剣にやらないのはダサい。
