年を取ったのかもしれないが、研究室の若者を見ていて思うことを書いていく。
多くの場合は、具体的に誰かに言った/書いたことで、これは良く思うなぁというものを集めています。

オリジナルなテーマがあるのではなく、オリジナルなテーマに磨いていく

まず「研究を始める前から、これって面白いんじゃね?って思いついたこと」は、だいたい誰かが既にやっている。世界は広い。

研究者になれば誰しも、「この人はこの研究」って言われるようなオリジナリティの高い研究成果を挙げたくなる。僕が思うに、キャリアの若い時には、「オリジナル研究をする」=「人と違うことをやる」って考えがちなんだと思う。そのため、「未だ人がやっていない研究」を探しがちなのだが、筋が良い研究でそんなことはほとんどない。多くの場合、「未だ人がやっていない」=「超難しい」 or 「やる価値がない」である。

僕なりの観察によれば、優秀な研究者は「テーマは人と似ていても、やり方で自分のオリジナリティを出せる」のだと思っている。オリジナルな視点・考察・方法の積み重ねにより、その結果として「人と違うオリジナル研究」に仕上がっているのだと思う。その結果だけを見て、「人と違うことを始めよう」と考えるのは、スタート地点が違うと思う。

具体的には、東大の山崎さん (Cama flood)、国環研の花崎さん (HO8)は、いずれも大学院の時のバイト (お仕事) から始まっている、と聞いた。最初はただのタスクであっても、進める中で自分のオリジナリティが勝手に出てきて、自然と新しい研究に花開いていくのだと思う。キャリアの若い時には、ある種の盲目性も大事だと思う。つまり、指導教員の示す方針をまずは信じて、没頭して取り組んでみる。その中で、自分なりの色が自然と出せるようになってほしいです。守破離ってやつだと思います。

ソース: 理研・富田さん

[偉そうに言ってるけど小槻は?]
時にプロジェクトの要請で始めた研究からも、オリジナリティを出してきたと思っている。結果的に、38歳時点では、データ同化を中心とした研究フィールドを開拓しつつあるのでは、と自負している。個々の研究・論文でオリジナリティは出してきたと思うが、「進めている研究全体 (=研究テーマ) でオリジナリティ」が出せている、と思うようになったのは、37歳くらいからである。少なくとも僕は、オリジナルな研究テーマを持つに至るのに、それくらいかかった。(もっと早く出している凄いと人もたくさんいる。羨ましかった。)

どんなテーマでも論文を書ける力は非常に重要

ポスドクになると、それ自身がとても魅力的でない/新規的ではなくても、やらねばならないことはあります。あります!(プロジェクト的にだったり、組織的にだったり。そんな時に、「自分なりにやり方」でオリジナリティを出して論文を出せるようになれば、研究者としてやっていけると思います。

例えば、AI天気予報モデルを始めたいと思ったとする。その時に、「GoogleもNVIDIAもやってるし」といって開始できないと何もできない。「ストレッチ格子が有効だと思うんだけど、既に誰かがしている」と思って手を付けないと、大事な研究が進まない。上にも書いた通り、これって面白いんじゃね?って思いついたことは、だいたい誰かが既にやっている。でも、多くのテーマは進める中でオリジナリティは出せる (=論文にできる)、と小槻は信じている (そんなに筋悪でなければ)。

というのは、PIになったときに必要なスキルに、研究予算の安定的な獲得がある。そんな時、Pureな競争的資金である科研費と異なり、文科省/JAXA/環境省/企業共同研究などの予算は「そのFunderがして欲しいこと」が先にあるので、pureなscience-drivenでは研究は出来ない。例えば、温暖化の影響評価研究など。その中で論文を書ける力は、非常に身を助ける。

結局、「自分のやりたいことしかやらない」という態度は非常に見ていて危なっかしい。「自分が求められているミッションを理解し、その中で自分のやりたいことを満たす」という視点を持ってほしいと思う。

[偉そうに言ってるけど小槻は?]
この辺の研究は、後追い/お仕事的/結構難しめのテーマとして始めたが、プロジェクトで重要だったのでちゃんと仕事にまとめた (Kotsuki et al. 2015 HRL; Kotsuki et al. 2017 QJRMS;  Kotsuki et al. 2018 JGR; Kotsuki et al. 2019 SOLA; Kotsuki et al. 2019 QJRMS; Kotsuki et al. 2019 WAF)。ここの話は、聞かれたら色々話します。結果的に、この取り組みから始まった研究がJST・さきがけやムーンショット研究に繋がっている。今になって振り返ると、その当時の自分には見えなかった世界・広がりが、ボスには見えていてテーマを与えて頂いたんだと思って感謝しています。

コラボレーション・協働の重要性

米国では、「4C教育」と言われているものがあり、これは行政・ビジネス・教育界のリーダーで組織されたNPO団体 Partnership for 21st Century Learning(1)により特定された21世紀に必要とされる4つのスキルを指す。4つのCは、Critical thinking (批判的思考)、Creativity (創造力)、Collaboration (協働)、Communication(コミュニケーション)。このうち、協働の話。

見ていて、日本の研究者は、「自分一人で完結する研究」を好み勝ち。誰かと一緒に開発するとか、そういった協働に楽しさを覚える傾向が低いように思う。「誰かと協働する」というのは、ある種のunconfortableを伴うものだからだと想像する。自分だけの意見では決まらないし、進め方の好みも分かれる。人のコード/資料も読まないといけない。人に使ってもらうために解説資料も作らないといけない。これが「冗長・無駄なタスク」に見えるのだろう。または、「自分だけの研究」と胸を張れないからそう思うのかもしれない。同じようなことは、自分でゼロからモデルなりを作りたがるところにも表れているように思う (流出モデル多すぎ)。

「自分一人で完結する研究」は、当然スケールも小さくなるし、ニッチな分野で戦うしかなくなってくる。これは協働を嫌うことの一つのデメリットである。だが、それとはまた別の協働のメリットがある。それは、コアな研究が任せられることである。手っ取り早く出世するには、上を味方につけて引き揚げてもらうのが一番早い。

研究室であれ、プロジェクトであれ、センターであれ、どのスケールであっても、「外すことの出来ないコア/重要な仕事」がある。周りを見渡してみると、そういう仕事は、協働を厭わないメンバーにアサインされていることに気が付く (若しくは、よっぽど突き抜けているか)。ただ、これはどっちが先なのかは良く分からない面もある。というのは、頭の柔らかい人は、基本的に協働を好む傾向にあるからである。それは、人と議論する中で自分の意見や研究を磨いていくことが楽しいからだろうと想像する。

色々言っているが、「何かを一緒にやる」っていうのは、本来学園祭みたいなもので、楽しいはずなんだけどなぁ。また、度々名前を出すが、東大の山崎さんなどは、本当にバランス取れている。プレイヤーとして研究者としても超一流だが、協働を進める/グループを動かすという意味においても、本当にリスペクトしています。

[偉そうに言ってるけど小槻は?]
正直なところ、僕は大規模システム/プログラミング/計算機が得意なわけではないので、自分の能力としては苦手分野だと思っている。苦手だから、ポスドクで理研を選んだ。自分の苦手分野を鍛えた方が、手っ取り早く成長できると思ったからである。研究者においては、それなりになんでもこなせる能力 (極端な苦手分野を創らないこと) は大事だと思っている。

理研で寺崎さんと一緒にNICAM-LETKFのメインディベロッパーをさせて頂いたことで、この辺の感覚に至った。何より、勉強になるのである。自分一人では到底創り上げられないものを一緒に創る経験は、財産になった。ありがとうございます。