大学で研究室を持ってから、多くの学生・研究員を見てきましたが、そこから得られた示唆です。
メタな解釈
下記に具体的な傾向を書いていくが、書きながら、いろいろなメタ情報に出来ることに気が付いた。
(1) 小さなPDCAを回す。細かく軌道修正する。
(2) 目的が「研究結果を出すこと」ではなく、理解することや、好奇心を満たすことを目的にしている。
単純に作業量が多い
毎日大学に来て研究する学生は、やはり進捗も早い。多くの試行錯誤をこなせるので、着実に成長する。
時々、「研究」で躓くときもあるのだが、そもそも勉強と研究では使う脳ミソが違うことに注意が必要である。勉強の延長で研究をすると、時々、「効率よく (タイパよく)」研究を進めようと思ってしまう。しかし、つまみ食いの様に研究して、画期的な成果を得られるほど研究は甘くはない。答えがある問題だとそれでも良いのかもしれないが、研究は「正解・答えがない」問題に取り組まないといけない。
また、「楽しいからやる」のではなく、「やるから楽しくなってくる」ものである。これは、研究だけでなく、スポーツでもアートでも受験勉強でも一緒じゃないだろうか。何かを始めて、その芽が出始めるまでには時間がかかる。例えば、受験勉強を始めて分かる様になるまでに、テニスを強くなろうとおもってランニングを始めて、3~6か月くらいはかかった。研究も同じで、その楽しさを知ろうと思ったら、時間を捧げないと相手は答えてくれない。
答えではなく、答えを出すプロセスに興味を持つ
これも普遍的な力を身に着けようとしているのだと思われる。
結果として、「どうしたら良いですか?」ではなく、「どうしてそんな質問したんですか?」「どうしてその方法が良いと思ったんですか?」という、答えをだすプロセスに対して質問される。
MTGに向けてしっかり準備する
MTGにおいて、学生/研究員からの進捗を聞きますが、時間を有効に使って研究が進む学生もいれば、そうでない学生もいる。この辺の差は、学生/研究員が、MTGに対してどれくらい時間を割いて準備してきたかによる。良いコメントを受けることができれば、それだけ研究を進めることが出来る。
単に結果を出してそれを網羅的に紹介するのではなく、この辺が出来ていると研究は進む。
- (1) 結果を自分なりに解釈し、
- (2) 解釈に基づいて実験・調査し、
- (3) 自分なりの仮説や、次のステップについてのFirst Guessを持つ
要は、言われたことをするのではなく、自分なりの解釈・考えで研究できると、研究は進むのである。
MTGの報告資料の裏にバックアップスライドがある
傾向として、研究が進むメンバーは、バックアップスライドがしっかりしている。コメントに対して、「それは実は不思議に思って、こういうことも実験してました。」という思考の跡が見える。
結局のところ、研究で身に着けるべきは、「仮説演繹のサイクルを回す」力である。このサイクルを、自分自身で身に着けることが出来れば、研究で出てきた結果から大事な情報を抽出して、報告できるようになってくる。
どう結果を出したかがちゃんと説明されている / 悪い結果も報告する
例えていうならば、実験結果というのは料理である。最後に出来上がった料理だけ見て、何かが違うと思っても、何を使ったか(どんなデータを使ったか)、どう調理したか(どのような解析を行ったのか)が分からないと、的確なコメントはできない。
どうしても、「良い結果だけ示したい」という気持ちが働くのかもしれない。ただ、小槻が思うに、「結果・アプローチに対して批判的なコメントを受けたくない」という気持ちが強いのかもしれないと思う。この辺は、個人の人格に対する意見と、研究結果に対する意見は、ロジカルに区別しないといけない(社会人になる前に身に着けるべき事)。研究に対するコメントは、人格を批判しているのでなく、「どうやったらより良く研究が進められるか/より良い研究成果が得られるか」という視点で発言している。
コメントや指摘をフラットに受け取る
自分自身を成長させるという観点では、学生・研究員の間に、研究の進め方や発表について、多くのコメントを受けた方がお得である。研究の結果やプロセスに対して、厳しいコメントをすることもあるが、それは「研究を進めること、研究成果があがること、成長に繋がること」に対してコメントしているのである。
若い時に理解しておきたいのは、「研究に対するクリティカルなコメント」は、「人格に対する批判的なコメント」ではない、ということである。これが理屈として理解できると、むしろコメントを受けた方がお得、だと分かる。そしてこれが分かると、思考のプロセスや悪い結果も報告しようと思うのだと思う。
こまめな報連相がある
フラっと研究室に行ったときとか、廊下ですれ違ったときとかに、「ちょっとだけ今いいですか?」という報連相がある。なんでそうなるかというと、「小さなPDCAを回して、細かく軌道修正をしている」のだと思う。
逆に、2週に1度のMTGで、「こんなことをやってきました」というのを、いきなりドカッと報告される場合もある。そもそも、取り組みの方向性が筋悪だと、お互いに不幸である。
他の学生の研究に興味を持つ / 研究室運営に積極的
あ
MTGに対して意識したほうが良い事
最初に抽象的なことですが、意識したほうが良い事を並べます
(1) 自分にとっての当たり前でも、当たり前ではない
研究において、「自分の思考には盲点がある」ことを知っておくことは非常に大事である。感覚として処理するのではなく、どう考えて或るアクションを起こしたのか、ということを極力言語化することが重要である。
(2) 情報ギャップ
「自分にとって当たり前/よく覚えている話」は、「教員にとっても同じ」ではない。例えば、学生&研究員が15人いたとき、そのすべてを覚えているのは至難の業である。
MTGの目的は、「進捗を報告すること」ではなく、「進捗を報告して、結果を解釈して、次に向かう方向を議論すること」である。つまり、MTGにおける報告はプレゼンであり、情報ギャップを埋めるように試みるのが、発表者のマナーである。
(3) 早く進むより, 着実に進める
言い方を悪くすれば、食い散らかすように研究をする場合がある。この場合、1つ1つで着実な知見が得られておらず、その上で新しい結果を出しても「結局何も得られていない」という状況になる。そういった状態でどんどん先に進められても、もう科学的に適切な仮説演繹を出来ない。
(4) やったこと全てを報告する場所ではない
その結果を解釈して、大事な情報を抽出して持ってくるの場がMTGである。教員やアドバイザは、お父さんやお母さんではないのだから、全てを報告する必要はない。
(5) 最初のスライドで前回を振り返る/報告の全体を示すクセを付ける
いきなり結果から話始めても、ついていけない。前回までの研究で、どんな課題があって、どんな指摘を付けて、今回どのように研究を進めたのかを示す。
ポイントは2つある。まず、全体感を知ることで、聞き手が全体を把握できる。報告は、「起承転結」ではなく、「結起承転結」にする方が、コミュニケーションが円滑になる。
もう1つは、自分なりに結果を咀嚼する時間を作ることで、自分なりの仮説を持つことである。結局、仮説演繹を回す力を身に着けるのが大事。