2023/12/11-15に、米国・サンフランシスコで開催されたAGUに参加してきました。研究室からは小槻・岡﨑が参加し、それぞれ2件の発表を行いました。コロナも空けてほぼ対面に戻り、2万数千人の参加だったとのこと。とても活気に満ちていました。

小槻自身は、2014年以来の9年ぶりの参加でした。正直なところ、この9年間で米国の研究はとっても進んでいて、大変ショックでした。この期間の大きな科学的進展は、機械学習・AI分野です。米国では、これらの情報科学の先端研究の取り組みが急速に進みつつあり、日本は当該分野で周回遅れの感があります。

今後の研究室の戦略も、練り直さないといけないと危機感を強く持ちました。忘れないうちに、備忘録として感想を残しておきたいと思います。

小槻が感じた米国の強さ

チーム方式で進める研究

日本では研究員や学生が、1つの研究テーマを持ち、それを完遂するのが一般的である。一方で研究室や研究所で、チーム戦で研究が進める研究に、米国ではゲームがチェンジしているように感じた。

日本式のメリットは、最初から最後まで一貫して研究ができるgeneralisitを育成できる。その一方で、どこか1つでも欠けた際に研究が完遂できないことがデメリットである。以後、属人化方式と呼ぶ。研究には、大きな方向性が決まった与えられたうえで、(1) サーベイ, (2) 実験デザイン, (3) データ収集, (4) 解析・議論, (5) 論文執筆・査読対応 などの複数のプロセスが必要になる。小槻の私見としては、日本の研究者は (3) や (4) は十分にできるが、(1), (2), (5) が苦手な印象である。いずれにせよ、どれか1つでも欠けると科学論文としての発表まで持っていけない。プログラムは書けるし、実験もできるのに論文を書けないのが、この苦手分野に原因があるように思う (一般的に、英語関係の(5)だと思われるが、個人的には、根本的な原因は(1)&(2)ではないかと思っている)。属人化方式の大きなメリットは、天才が邪魔されずノビノビ研究できることにある。

一方でチーム方式のメリットは、開発したデータ、ソースコードを共有できることによる効率性の向上にある。また、適材適所に配置してチームとしての生産性向上を図ることが出来る。チーム方式のポイントは、得意技を持ち寄ったチームを組むことで、非天才集団でも世界と戦える集団に成りえることにある様に思う。小槻自身は凡人なので、我々が世界と戦っていくには、チーム方式に移行していく必要がある様に思う。この方法は後でもう少し検討したいと思う。

一見、米国の方が個人競技に強く、日本の方がチーム競技に強い気もする(※余談1)。しかし、日本と米国の研究では逆なことが起こっている。何故だろうか?以後は、海外の研究者や、そこに所属したことがある方からの断片的情報から推測したものである。

米国でチーム方式が成り立つ大きな理由は、研究の主力である博士学生が、ボスに雇用されていることにある。そのため、雇用主であるボスの力が強くなる。また、「博士号」という首根っこ掴まれているので、ボスのチーム戦方式が機能するのだと思っている。(もちろん弊害もあって、博士号をなかなか出さないボスもいると聞く)

また、米国のポスドクは1~2年で場所を移り変えると聞いた。この状況下では、日本のような属人化方式ではラボでやるべき研究が進まない。(1)~(5) を新しく修めるのに、1~2年では足りないからである。何故ポスドクが移り行くかというと、おそらく米国では、博士取得後に研究テーマを変えることが一般的だからではないかと思う。

このようなシステムが成り立つのは、米国では博士取得後に研究テーマを変えるのが一般的だから、だと思う。別の言い方をすると、博士を取得したテーマではなく、テニュアを取得するには自分で産み出した研究アイデアで勝負する必要がある。博士を取得するまでは、ボスに雇用されていることもあり、研究テーマはボスから与えられる。そのため、成功の仮説がある研究テーマに集中することが出来る (※余談2)。その一方で、研究の一番難しいところは、研究テーマを自分で見つける力であり、テニュア審査では(単純な論文の数ではなく)、研究テーマを見つけられる力が問われているのだと思う。そうなると、ポスドクの間にいくつか有力な研究室を渡り歩いて知識・研究の進め方を吸収し、テニュア期間にその力を試して良くことになる。米国のポスドクは1~2年で場所を移り変えるのは、その辺りに理由があるのではないかと推測する。(一方で、日本では博士の研究をそのまま継続することが多い。人の分野間移動が起こりにくいので、この辺も分野の固定化に繋がっているように思う。)

研究・発表のレベルの高さ

言ってしまえば文化の違いなのだが、研究のレベルが高い。発表もさることながら、きちんとサイエンスをしている。

個人的に知る範囲では、米国の研究者は、AGUやAMSの一流ジャーナルに、きちんとフルペーパー論文を投稿している。中国系のIFだけは高いジャーナルなんかに、心移りをしないように見える。そうすることで、研究の質を担保されているのかなと思う。

また、博士号をそういったジャーナルに通して出すので(=あまり質の高くない雑誌だけで博士を出さないので)、ポスドクの質が担保されている。この辺が、企業が博士号取得者を積極的に採用する理由にもなっているのかなと思う。この辺り、日本の大学教員は反省すべき点は多い。留学生が奨学金が切れるからなんとか博士を、みたいな話もあるが、本来この辺りの議論はサイエンスには関係ない筈である。

チーム戦に移行する方法

地球科学においても、チーム戦に移行している感がある(※余談3、4、5)が、目の前の研究室でそれを実現するのは前途多難である。少しずつ出来ることをしていくしかない。とはいえ、日本でも十分にチーム戦を図れている分野はある。それはITベンチャーなどであり、ビジネスに学ぶべき事は多くある。この仕組みは、リモートワークでも仕事が回る、というのが1つのポイントになるかもしれない。

チーム戦に移行するメリットは、単純に成果が上がることである。また、一体感を持って仕事をすることになる。体育祭/文化祭準備のノリになる訳だが、嫌いな人はいないんじゃないか、とは思う。

研究室として形成すべきカルチャー/ツール

(1) アジャイル開発
「計画」「設計」「実装」「テスト」という開発工程を短期間で繰り返すソフトウェア開発の文化。それまで主流だった、全体の機能設計を確定してから開発に着手し、段階的に開発工程を完了させていていく「ウォーターフォール開発」の対になる文化。要は、「失敗を安く済ませてPDCAを速く回す」、「試してみてしょっちゅう変える」ということだと思う。

これを我々の研究にあてはめると、「PDCAが回せる個々の開発」に分割して、それらを統合して大きな成果物にしていく、という設計思想が必要である。以後の話は、基本的にアジャイル開発に移行していくための手段/カルチャーである。

(2) ソースコード管理 (git) / 検証コード / コードレビュー
開発済みの知見を活用するために、必須。また、コードのUPDATEに対し、そのコードが動向に動作しているかを確認するための検証コードも整備する。この検証コードがある事で、結果について最低限の安心を持つ事が出来る。コードを資産として形成していくために、ソースコードやディレクトリが共通化されている必要があるし、リーダブルコードな文化も必要。そのため、コーディング/ディレクトリの規則や、コーディングルールを作っていく必要がある。最初は、誰かシニアな研究者によって、コードレビューが行われることも望ましい。

(3) ソフトウェア・ツール
同一環境で開発継続できること。つまり docker/singularity など。

また工程チェック・ソフトウェア。notionやカンバンツール-->ガントチャートなど。

(4) 研究開発の進め方と構成メンバー
ここが大学の研究室では一番難しいところかもしれない。

チーム方式では、毎朝MTGを行って、進捗チェックをして、次の方針を確認する形でPDCAを回していく形が想定される。ITベンチャーでもそうだし、化学系の研究室でもそうだろう。まず、雇用されていない学生にそこまでのコミットメントを求めることが可能か、という点は論点となりえる。大学の研究室でホントにできんのか?

一般に、アジャイル開発を行うためには、構成員がアジャイルの重要性を理解していること、モチベーションが高いこと、スキルが高いことが求められる。そのため、IT企業では採用には相当の時間とリソースを割いている。一方で、現状の地球科学にはそのような文化はないので、入ってくる構成員に求めるのは困難である。つまり、中から醸成していくしかない。

(5) 小槻が身につけねばならない力: アジャイル開発を行うためのスキル
タスク分解して、チェックを効かせる能力。また、ソースコード管理 や コードレビューができる技術力。どこかのベンチャー企業で修行させてもらうのが一番手っ取り早い、がその時間がない。となると、スキルがある人間を雇用するしかないのか、、、?一番しんどいところなので、自分がやるしかない。

(6) ラボでやらないこと
ドキュメントがない巨大モデルを作る事。これにより、俗人化が発生する。

サーバーをいつまで持つか否かも検討する必要がある。AWS、MDXなどへの移行を検討する必要があるかもしれない。とはいえ、いつまで予算が続くか分からないのは怖い。

その他

余談1: 日本人はチームワークが得意なのか?

海外に住んでいた知人から、「日本人はpoliteだけどunkind」という話を聞いた。そうかもしれないと思った。なんとなく、日本人は親切だと思っていたけれど。

同様に、これまでなんとなく、「日本人はチーム戦が得意だ」と思っていたが、それに対する疑義を持った。というのも、米国の方がよっぽどチーム戦が進んでいるからである。これが、「日本人がチーム戦が得意なわけではない」のか、「米国ほどのリーダーシップがない」からなのかは、まだ良く分からない。実はチーム戦が得意でないとすると、契約に対する意識の違いや、合理性に根本原因があるのかもしれない。

余談2: 米国では成功の仮説がある研究テーマに集中できる

一方で、成功の仮説を持てないボスは、publish or perishの文化で研究費が取れなくなる。そして、博士学生を雇用できなくなる。博士学生も、給料をもらって研究をするのが一般的なので、ちゃんと研究費の取れているボスを選ぶ。この市場原理で、博士学生は100%ではないものの、成功率の高い研究に集中できる。良くできている。

その一方で、日本では、「雇用されるか」ではなく、「やりたい研究テーマ」で研究室を選ぶ。ここで、あまりボスの論文力は重視しない、気がする。個人的には、博士学生やポスドクのうちは、研究テーマの前に、「研究テーマが与えられたときに、きっちりサイエンスに仕上げる能力を身に着けること」を重視した方が良いかと思う。科学者としての力を身に着ければ、やりたい研究テーマはその後でも十分に深める事が出来る。

余談3: チーム方式への移行が進む地球科学

最近、Computer Vision (CV) 関係の情報科学研究者と話していて、AIによって研究が生物・化学系と同じく、HARD FACT勝負になってきたという話を聞いた。これまでは、「理論や方法を組み立て、その上で実験をしてその理論や方法を検証する」という研究分野だったが、CV系では「この深層学習モデルで学習すると、上手く行きました。(ソースコードやデータも公開するから)世界中の誰でも検証可能です。」といったShort Paperが増えているとのこと。ここで、論より証拠 (FACT)なので、上手く行くメカニズム・理論が必ずしも問われるわけではない。

化学や生物学では、最後は実験の数がものをいう分野である(と思っている)。そのため、チーム方式の研究は、化学分野などでは、以前から行われてきた。この「実験の数を増やす」目的において、チーム戦は必須である。この流れが、情報科学に流れてきて、その波及が地球科学分野に及んできているのだと思う。情報科学の波及は、日本よりも米国で先に起こっているのだと思えば、現象は説明できる気がする。

余談4: 研究にアートはないのか?

あるとは思う。とはいえ、「遊び」がなくなって、「やるべき事をきちんと効率的にこなせるGROUPしか勝てない」という様に、ゲームが変わってきているのかなと思う。ちょっと別の話だが、テニスで、ナダルやジョコビッチが出てきたときに、遊び要素も入れつつプレーするプレーヤーが優勝できなくなったって話があった。やるべきトレーニングをきちんと積んで、勝つための努力を確実に積まないと優勝できない、的な。同じような流れは、いろんな分野にあるのだと思う。

余談5: Issue Drivenへの移行

なんでチーム戦が進んでいるかというと、やはりAIの力だと思う。物理プロセスに基づく数値天気予報は、過去70年の蓄積があるわけだが、ここ数年で、(まだ問題があるとはいえ) Google/Microsoft/NVIDIAなどが急速に追いついてきた。美しいか否かは置いておいて、とにかく予測・回帰問題に対して、AIはこじゃんと強い。

こうなると、「問題を、いかに良く解くか」ではなく、「良い問題を、いかに解くか (issue-driven)」が重要になってくるのではないかと思う。そういわれてみれば、AGUのAI系の発表は、SDGsや社会問題に準えて、Issue-drivenな研究が多く見られた。そして、このIssue-drivenもITベンチャーの文化である。

契機になった話

最近のいくつかの出会いや会話が契機になりました。AGUでお話した安田さん、松岡さん、岡﨑さん。量子アニーリングのFAさん、NAISTの舩冨さん。