最初に
超難しい問題。しかし、世の中にこの疑問に対する明確な答えは聞いたことが無い。
ということは、経験的に、感覚的に身に着けることはできても、言語化することは難しいのだと思う。
自分の中で「良い研究テーマ」というのは、いくつか意味があると思う。
1つ目は、「研究をすれば着実に英語論文まで持って行けるだろう」というテーマ。
2つ目は、「この研究をすれば、もっと多くの不思議が出てきて、どんどんとテーマが拡がっていくだろう」というテーマ。
3つ目は、「この問題が解ければ、科学界・世界に大きなインパクトを残せるだろう」というテーマ。
小槻は、3つ目はまだ分からないので、1つ目・2つ目の話だけをします。
キャリアを積むと、「1. 英語論文まで持って行く」テーマを見つける事は難しい事ではない。というよりも、研究者のキャリアの中で、詰めれば論文になるだろう、という課題はいくつか残されて転がっている。とりあえずそういうものなので、長い研究者人生を考えたとき、1.はあまり考えなくてよい。小槻個人の見解としては、「これを進めたら英語論文になるだろう」という感覚が掴めていないうちは、指導者に与えられたテーマをまずは完遂することに集中した方が良い(問題を解く技術を身に着けるステージ)。
その上で、「限られたリソース・時間の中で、何にをして、何をしないか」が論点になる。つまり、「やれば論文にはなるだろうが、詰めの作業に近いのでやらない」、という選択をすることもよくある。なので鉱脈のような、「2. 拡がるテーマ・問題をどう見つけるか 」という問題になる。ここでは、「どうやって鉱脈を見つけるか」を考えてみたいと思う。
鉱脈の様に拡がるテーマ
「良いテーマをいかに見つけるか?」という疑問は、業界で素晴らしい研究を推進している方にもぶつけることが多いのだが「修士・博士の時の研究テーマが、たまたま良かった」という答えが一番多い。つまり、他人に聞いても、良い答えが返ってくることは、あまり期待できない。
執筆時点で小槻が思うのは、「(1) 先生が直感的に、このテーマは伸びる」と思ってアサインした研究を、「(2) 学生が深めきれた」ことの両方が必要なのだと思う。(1)は後でもう少し深めるとして、(2) の観点を補足。
研究室を始めてから、「これは良いテーマだ」と思って学生/研究員にアサインしても、十分に深まらないことは、よくある。これは、捧げられた時間、経験、技術、知識にもよるもので、彼ら/彼女たちが頑張らなかった、と言っている訳ではない。単純に、自分の方が経験があるから伸びると思うのであって、世代の役割の問題だと思っている。しかし、「伸びる」と思ったテーマが本当に伸びきるには、「学生/研究員が深めきる」ための努力が捧げられることも、必要条件ではある。
「これは良いテーマだ」と自分が直感的に思うテーマは、当然、「自分がやれば大事な問題を掘り起こせるだろう」という直感的確信がある。では何故、「自分がやれば大事な問題を掘り起こせる」と思うのに、「学生/研究員の指導を通しては、問題を掘り起こせなかった」のだろうか。答えは、「自分が直接データ/式/問題/自然と向き合ってないから」だと思う。結局、直接問題を触れていないので、深いレベルの仮説演繹・試行錯誤が出来ていないのである。
経験上、「問題を掘り起こす」のは、最後までデータ/式/問題/自然と向き合った後にしか得られない。大事な問題・重要な不思議とは、何故だろうと思って、試行錯誤を重ねて真摯に向き合って、初めて顔を見せるものである。良い問題は、勝手に向こうから現れるものではない。若しくは、良いテーマであっても、見逃してしまう。僕自身は、1つの数値実験の結果が不思議で、考えて考えて、「理解した!」と思った時に、次の疑問( = 研究テーマ)がそこにある、という経験を研究者として何度か経験してきた。逆に、浅い解析・研究から大事な問題を得た事は無い。
言い訳のようにも見えるかもしれないが、「不思議」と最後まで向き合わないと、良いテーマを掘り起こせない、というのはおそらく真実である。千葉大学に、リサーチハブ・リーダー会議という勢いの先生で構成される会議がありますが、みんなが言ってるのは、「考えて、考えて、考えて、考えて、最後にやっと不思議がわかった」「そしてその不思議が解けたとき、新しい問題・不思議がもっと生まれた (=研究テーマが生まれた)」というものである。(ちなみにこの閃きは、多くの場合研究の最中ではない時間に現れる。散歩中とか、お風呂中とか)
では何故、「自分が手を動かさない」のに、「これは良いテーマだ」と直感的な確信を持てるのか。この直感はおそらく、テーマに対する数学・物理的な理解に基づいている。この点を次に考えてみる。
テーマに対する数学・物理的な理解の必要性
例えば、小槻自身はデータ同化の研究者をしていて、データ同化についてはそれなりに理解を深められたと思っている。もちろん、まだ分からない事の方が多いのだが、それなりに自分は深く潜れているだろう、という感覚はある。
27歳からデータ同化に初めて触れて、式変形や導出については、線形代数を復習しながら27歳でも理解できた。その一方で、「データ同化の気持ちを理解できた」と感じるのは、36歳を超えてからのような気がする。「気持ちを理解できた」というのが言葉にし難いのだが、例えば、こんな感じだと思う。
・導出を見なくても、最後の式だけ見て、「確かにこうなるよね」と分かる。
・同じ式を、同値な式として、複数の形で書ける
・式を見て、物理的に言っていることが分かる。
・式の概念を、何も見なくても、ホワイトボードにお絵かきできる。
上手く言えないが、「気持ちが分かる」のは「数式を自分の言葉で解釈できてる」状態だと思う。「数式を理解する」のと、「数式の概念を理解する」のは、異なる。「数式の概念」が理解できると、別の問題の本質も概念として捉えて、その概念のレベルでアナロジーを起こせるのだと思う。おそらくこれが「鉱脈のような良いテーマを見つける方法」への回答だと思う。
ちょっと抽象的な話が続いたので、具体的にはこんな感じ。2023年8月に、応用数理学会で、画像工学における逆問題のセッションを聞いていた。業界が違うので数式はよく分からなかったが、やりたい概念は理解できた。
・例えば、X線で得られるような体の内部構造 (状態x)を、近赤外とか体への負担が少ない波長の情報 (観測y)から復元したい。
・xが得られると、非線形演算子 (放射伝達計算)でyは計算可能。
・yからxを求めたいが、劣決定問題。
・L2正則だと、ぼやけた画像しか得られない。ので、機械学習を使って正則化をかける。
この正則化に、GANを使ったり、xとyの潜在空間の距離で正則化をかけると、とかいくつかアプローチが提案されていた。
このアプローチは、そのまま気象のデータ同化にも使える。例えば今、降水量のデータを同化するときに、予報アンサンブルに雨を降らせるメンバーがいないと、スプレッドが0なので同化出来ない、というIssueがある。このIssueは、潜在空間のデータ同化で解決できそうな気がする。その前段階として、L63でも同じような実験をデザインできそう。部分観測でも同化しないといけないから、Conditionalな潜在空間表現も研究する必要がありそう。画像と違って、気象の場合は潜在空間が力学系で律速されているので、力学系の制約を課してやれば、新しい研究はいくらで出てきそうな気がする。
ということで、実際の天気予報を使う前に、概念モデルを使うだけでも、自分の手を動かすことができれば2~3本論文書けそうである。また、その論文が書き終わる頃には、「潜在空間表現」への理解が深まってるので、新しい問題も見つかっていると思う (最後はただの、楽観的な直感)。
とはいえ、ここまで考えると1つの上る価値のある山なので、「大事な研究テーマだ」と直感的に思う。
他に「鉱脈のような良いテーマ」を見つける方法は無いの?
確実にある。気象に限っても、良い弟子を育てている研究室は沢山あるが、同じような思考方法で問題を見つけてはいない気がする。ということは、他にも「テーマを見つける方法」はあるのだと思う。
結局のところ、「大事な研究テーマを複数を進めてる研究者」は、「大事な研究テーマを見つける得意技」を持っているのであって、その得意技は、各研究者によって違うのだと思う。
だけど、テーマを見つける時に、「問題の本質をとらえた概念レベルでアナロジーを使っている」のは一緒なんじゃないかと推測する。例えば、生物実験、化学実験、計算機設計といった分野でも、「生命とは」「化学反応とは」「計算機とは」といった対象に対する、直感的な深い理解に基づいて、そこでアナロジーを起こしているんじゃないかと、想像する。
その裏付けとして、respectfulな年上の研究者 (50~60代)と話していて、「今の自分でも科学が出来るのは、20~30代に〇〇を勉強・研究しまくったからで、その時の貯金で生きている」みたいな事を話す研究者が、それなりにいる。やっぱり感覚的に、「一度高い山を登り切った」から、他の山を見つけることが出来るし、その山の高さも直感的に推測できるのだと思う。
小槻自身は、37歳時点の自分の限界は、「研究テーマを逆問題としてしか設定できていない」ことにあると思っている。2023年の研究室で推進している研究は、データ同化も、深層学習も、予測制御も、観測位置最適化も、量子計算も、全部逆問題である。別の言葉で言うと、小槻は、Issueや不思議を「逆問題という土俵に持ち込んで研究テーマにしている」だけである (とはいえ、10年かけて身に着けた汗と涙の結晶である)。「持ち込める土俵」が拡がると、研究者としてもっと成長できるのは分かるので、もっともっと勉強したいと思っています。
大学教員としての研究テーマの見つけ方
科学とは、「人類が未知な事を既知にする」営みだが、スポーツとしての科学、基礎研究としての科学、の2種類があるように思う。
「スポーツとしての科学」は、世界の最先端の動向を追い、世界と競争をして新しい知を積み重ねる世界である。この科学にとってのサーベイは、日々出版される論文のレビューや、動向調査になる。一般に、このスポーツとしての科学は、大学よりは研究所など専門集団が集う研究機関で進められる、様に感じる。そもそもの研究設備が素晴らしいし、博士取得者ばかりの専門家集団が集う研究所に、大学の研究室では正面からは勝負できない。
理研から千葉大に移って初期のころ、小槻はこの「スポーツとしての科学」を大学で実行しようとして、断念した。例えば、NICAM-LETKFの様な天気予報モデルを用いた研究をしようとすると、(1) 気象の理解、(2) データ同化の理解、(3) プログラミング能力、(4) 計算機・スパコンの利用方法、(5) 数値気象モデルを走らせた経験、(6) 計算資源を効率的に用いる実験設計、などが必要になる。これを、修士までの研究で完了するのが不可能に近い。「科学」にたどり着くまでの「勉強」が膨大に必要なのである。仮にできたとしても、訳も分からず先生に言われるままに実験をして、その解析だけをすることになるので、学生本人が「何かを学んだ」という感覚にはならないと思われた。
なので、大学では「基礎研究としての科学」で勝負するしかない、というのが、今のところの小槻の見解である。学部生・修士学生の研究を「人類が未知な事を既知にする科学」にするためには、世の中の問題の本質を理解し、それを学部・修士で学ぶ基礎学問の延長に位置付けないといけない。「学生の勉強」と「科学」が近い状況を作らないといけないと思っている。この観点に立ってから、大学教員としてのサーベイは、論文のREVIEWではなく、或る程度体系が立てられた学問の勉強に移ってきた (e.g., ガウス過程、深層学習、制御理論、量子計算)。自分にとっては新しい技術・方法論と、自分自身がこれまでに持ってきた/知っている疑問・問題との間にアナロジーを起こす事が出来れば、研究テーマはひねり出せる感覚がある。
博士や研究員の研究テーマ設定になると、研究テーマが単独の問題解決で終わらないように、「この問題が解けたら、次にどんな問題が得られるか」をよく考えている。博士進学を規模する学生や、小槻研を選んで来てくれる研究員の場合、やっぱり伸びる研究テーマを進めて成長して欲しいので、5個くらいは研究テーマを思考実験で考えてから提案してるんです。また、その研究テーマが、学生・研究員の知識・技術レベル・興味とも合わないといけないので、結構大変な思いをしてひねり出しています。今のところ、良いテーマ設定が出来ていると満足はしている。小槻自身も、学生のころは「研究とは問題を解くこと」だと思っていたが、「本当の研究とは、解くべき問題を見つける」ことから始まっていて、問題を見つけるために膨大なサーベイが捧げられているのである。「解く価値のある問題を、研究テーマに出来ている」ことって、当たり前じゃないんで、もうちょっと感謝されたい。
良く困るのが、「直感的に良い方向なんだけど、研究テーマまで煮詰め切れていない問題」である。研究に対する初手 (最初の論文)までは思いつくのだが、その後でどう深まるかまでが考え切れない。個人的には、そういうテーマは寝かせておくに限る。寝かせておいたテーマは、学会を聞いたり、異分野の人と話をしたり、論文を読んだりしているときに突然解決することが、時々ある。また、リスペクトしているその道のプロなりに相談すると、「こういうの面白んじゃないかんぁ?」となることも良くある。なので、「直感的に良いけど、煮詰め切れていない問題」は、ネタ帳を作って大事に温めておくのが良いと思います。今見たら、小槻のネタ帳には20~30個くらい、日の目を待ってるテーマが眠っています。
Issueを解決する
研究とは、「現象」と「方法」の掛け算だと思っている。
これまでの「研究テーマの見つけ方」は、特に新しい方法を考える観点から、「鉱脈の様な良いテーマ」を見つけるための個人的な見解だった。「方法」の研究は面白いのだが、時にニッチで、重箱の隅をつつくような研究になることもある。
「方法」を考えるのが好きだからこそ、「Issueを解決する」という意識を持つのも大事だと思っている。Issue-drivenという言葉があるが、ベンチャー企業などでは、「問題を良く解く」ことより、「良い問題を解く」方が価値があるとされる。また、任天堂の岩田さんが残した言葉に、「アイデアとは、複数の問題を一度に解決する」という言葉もある。
「鉱脈のように不思議が湧くであろう新しい方法」を考えて、それが「世の中のIssue (現象や具体的な問題)」が解決できる場合、それは解く価値のある良い研究テーマだと思っていい気がします。小槻は35歳ころから、方法論としての研究を極めるだけでなく、「Issue」を探すようになりました。
これもベンチャーの言葉に、「Issueは現場が持っている」というのがあります。つまり、「現象 (気象や水文)」を好きで、現象理解を追及している研究者が、素晴らしいIssueを持っているパターンが多い感触があります。なので、もし方法の研究が好きなのであれば、良いIssueを持っている研究者と仲良くなるのがおススメです。小槻自身も、仲間に恵まれてできた生まれた研究テーマは多々あります。金丸さんと始めたJAXA/GPMのプロジェクトなどは、「Issueを解決する」ために「新しい方法を考える」研究として、まだまだ伸びる良いテーマに育ってきました。
Issueを解決する、のその先
ビジョナリーカンパニーという本に、「ハリネズミの戦略」という概念があります。似たようなことは、多くの自己啓発本にも描かれています。この「ハリネズミの戦略」ですが、
- 自分たちが勝てる分野で戦う (得意なこと)
- 自分たちの情熱が続く分野で戦う (好きなこと)
- 自分たちが価値を産める分野で戦う (社会としての価値)
この3つの重なる交点で勝負をする、というものです。小槻研究室の戦略を立てる際にも、この概念は大事にしています。論文を書く事を目的化してテーマを設定すると、我々は近視眼的になります。ある方向に研究を進めようと思ったとき、「自分の情熱・好奇心が続くだろうか」と考えることも大事だと思います。
補足
「大事な研究テーマ」の定義は、研究者にとって異なる。小槻の場合は、真理に近づけているか否かが、大事な研究テーマの判断基準である。他にも定義の仕方はあり得る。例えば、プラクティカルに社会の問題を解決できること、を大事だと考える人もいる。
「スポーツとしての科学」と「基礎研究としての科学」は、どちらが良いとか、悪いとかいうものではない。研究者としても得手・不得手があるように思う。小槻はスポーツが苦手です。
他にも、「自分はこうやって研究テーマを見つけている」という意見があれば、是非聞きたいです。教えて下さい。
「結局、直接問題を触れていないので、深いレベルの仮説演繹・試行錯誤が出来ていない」のが最近嫌になってきて、やっぱり自分の手を動かして研究しようと思い始めました (2023.09)。